しあわせみんな 三号店

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「脱炭素」編

「脱炭素」編 動物たちは、その単語がどういう意味かはよくわかりませんでしたが、スクウィーラー〔引用者注:ブタの名前〕は実に説得力ある話し方をしたし、たまたまかれに付き添っていたイヌ三匹が実におっかない調子でうなったので、それ以上何も質問なしに、みんなその説明を受け入れたのでした。 ジョージ・オーウェル『新訳版 動物農場」(山形浩生訳、早川書房、二〇一七) ウソ8 温暖化対策は、環境をよくするために提案された 【事実】 一九八〇年代の末、仕事の減りかけた国連の関係者と環境研究者が、次の仕事に仕立て上げた。 いったんできた組織や集団は、体面を保ちメンバーを「養う」ため、ときに不要不急の仕事をつくったりします。三〇年と少し前に国際連合(国連)と環境関係者が叫び始めた温暖化(気候変動)の話も、仕事づくりのようなものでした。国際連合(United Nations。正しい訳は連合国)を権威とみる人が多いらしく、たちまち諸国の政治家と官僚も同調し、巨費が動き利権を生む話になって、大きな勢いがついたのです。 いま流行のSDGsも国連の作品ですが、私自身は気に入りません。まず、「持続可能な開発」などというものはありえないので、日本語は誤訳の類ですね。またの原語development(写真だと「現像」)は、「姿を変えつつ前に進むこと」だから、SDGsの素直な訳は望ましい未来の姿くらいでしょう。 呼び名の「国際連合」とか、無駄に威圧的な「高等弁務官」など、国連がらみの訳語には、筋の悪いものが多いと感じます(ほかの箇所でも例を指摘)。 SDGsとやらの中身=一七項目も、「保健・福祉」や「教育」などあたりまえのものが多いし、日本なら「飢餓」も「飲み水」も不安材料ではありません。そんな話をNHKが昨今あやしい訳語とともに流しまくる。世のリーダーたちが雑誌の巻頭言でSDGsを称え、大学の幹部が(受験生を増やそうと)学内広報誌でSDGsを論じ、企業がSDGsチームを立ち上げ、大学生がSDGsサークルをつくる――――そんな話を見聞きするたび、こらこら時間の浪費はやめようよ……とつぶやいてしまいます。 小学校でもSDGsを教えていると聞きました。醜い日本語「持続可能な開発目標」を無垢な子どもに押しつけるのは国の未来をあやうくしそうだし、「エス・ディー・ジーズ !」などと唱えさせているなら、新興宗教の世界ですね。 さて本題に入ります。温暖化(気候変動)話の幕開けは、一九八〇年代の末でした。思い返せば日本では昭和が平成に改まり、一九九一~九三年のバブル崩壊を見通せないまま、銀行が貸しまくり地上げ長者が生まれるなど、札束が飛び交った時代です。 以下、当時の国連が抱えていた事情を(部外者として)推測し、多少はなじみのある環境分野の状況を振り返ったあと、仕事づくりの素顔に迫りましょう。 気候変動・脱炭素」14のウソ』渡辺正著(丸善出版株式会社)