しあわせみんな 三号店

日本人は太古の昔から「しあわせみんな」という素晴らしい知恵をもって生きてきました

環境の世

環境の世 ② 仕事づくりの時代 関係者の地味な努力が環境をきれいにした結果、ひとつ困ったことが起こります。あちこちの官庁や企業が環境関連の部署(と担当者)をつくり、大学や国の研究所にも、環境を研究する人が増殖しました。そういう人々の仕事がなくなりかけたのです(私が数百名の環境研究者と交流したのはそんな時期。まえがき参照)。 環境関係者も次の仕事がほしい。一九七〇年を起点とみれば歴史がわずか一五年の分野だから、仕事も次々に見つかります。そんなわけで一九八五年ごろから研究者は、地球温暖化オゾン層破壊、リサイクル、環境ホルモンダイオキシン残留農薬BSE牛海綿状脳症)、遺伝子組換え食品……と、新しいテーマを見つけてきました。 うち四つだけ振り返ります。まず環境ホルモンは、一九九八年の六月に各紙が平均二〇本(二〇紙で計四〇〇本!)のホラー記事を書き、やがて数十冊の本も出る勢いでした。NHKスペシャルも二本か三本、立て続けに放映されています。なのに現在、大学生の大半は「環境ホルモン」など知りません。無理やり「ひねり出した」中身ゼロの話だったからです。 ダイオキシン騒ぎでは日本だけが大仰な法律をつくり、環境試料の分析を自治体に義務づけましたが、心配な数値が出たという話は聞きません。非科学のきわみともいえるBSE騒ぎでも、日本だけが「全頭検査」に巨費を投じました。そして四つ目、リサイクルと称して約三〇年前から国民に分別を強いるペットボトルなどプラスチックの大半は、一般ごみと一緒に燃やされてきました(本物のリサイクルには、大量の化石資源を消費するから)。 要するに一九八五年ごろから現在までの環境分野は、「火のないところに煙を立てる」ような時代です。仕事づくりを仕事にする時代ともいえましょうか。 ちなみに、いま流行の語「ゼロエミッション」は一九九四年ごろ、東京にある国連大学の学長だったベルギー人のグンター・パウリ氏がつくりました。彼は「ごみゼロ」の意味で使ったのですが、響きだけは威勢のいい(現実にはありえない)ゼロを、二八年後の温暖化論者がゾンビのように復活させ、「CO2排出ゼロ」の意味で使います。 だいぶ最近のことまで触れてしまいました。「仕事づくりモード」に入った直後、八〇年代の末期に戻りましょう。そのころ突如、アメリカ発の話がひとつ聞こえてきます。環境の関係者も、少し前に紹介した国連の関係者も、狂喜乱舞する朗報でした。 気候変動・脱炭素」14のウソ』渡辺正著(丸善出版株式会社)