しあわせみんな 三号店

日本人は太古の昔から「しあわせみんな」という素晴らしい知恵をもって生きてきました

COPというもの

COPというもの COPはConference of the Partiesを略したもの。定訳は「締約国会議」だそうですが、いかにも国連らしい大げさな訳語です。パーティーは「関係者」「仲間」を意味し、会議は関係者が開くに決まっていますから、COPの和訳はただの集会、COP26なら「二六回目の集会」でしょう。つまり「COP」自体に深い意味はないのですが、いちいち正式名を書くのはわずらわしいので、本書も通例に従います。 関係者とは、ウソ8の末尾に紹介した国連の気候変動枠組条約(UNFCCC)を批准した国々のこと。その条約は一九九二年五月の国連総会で採択され、六月のリオ地球サミットで披露されたあと、翌年に発効しました(いま関係者は一九六か国プラスEU)。一九九五年にベルリンで第一回があり、コロナ禍で延期となった二〇二〇年を除き、おおむね暮れ近くの二週間、あちこちの観光地で開かれてきました。何を話し合う会なのか? 人為的CO2が危険な気候変動を起こすという、リオから三〇年後の現在でさえ真偽のあやふやな話を大前提に、CO2排出の減らしかたを相談するらしい。 その根源は、さらに四年さかのぼる一九八八年にできたIPCCです。ただし、ウソ8で紹介したとおり国連のホンネは、CO2を悪とみて富を再分配することにありました。気候正義のもと、CO2をたくさん出す先進国は応分のカネを出せというわけです。 毎年のCOPを成果ゼロに終わらせるおもな理由は、そういうホンネとタテマエのもつれ合いにあります。会議内容の具体的な紹介に先立ち、形ばかりとはいえ何かトピック的なことがあったCOPを、左(下)に列挙しておきました。ほかの回はほぼマンネリだったため、特筆すべき回はこれくらいしかありません。

先進国だけがCO2削減義務を負う京都議定書が大失敗に終わったことは、ホントの章でかるく触れました。なにしろ日本だけがペナルティ回避のため、他国に一六億円も献上しています(うちウクライナ向けの約二〇〇億円が、なぜか同国内で行方不明に)。途上国にも削減義務を負わせるのがカンクン合意、「二〇二〇年まで」の条件を二一年以降にも拡げたのがパリ協定です(あとで紹介するとおり、途上国はいまなお被害者の気分)。 京都は世界に名だたる観光地だし、メキシコのカンクンカリブ海に面したリゾート地、南アフリカのダーバンもリゾート地です。ほかの回も、COP4(一九九八年)がアルゼンチンのブエノスアイレス、COP7( 二〇〇一年)がモロッコマラケシュ、COP13(二〇〇七年)がインドネシアのバリ島、COP18(二〇一二年)がカタールのドーハ、COP20(二〇一四年)がペルーのリマと、ほとんどが観光地やリゾート地で開かれてきました。 なお、なぜかメディアがもてはやすスウェーデンの環境活動家グレタ・トゥーンベリ(二〇〇三年生まれ)の素性は、ネットにあふれる情報でご確認ください。 以下、年中行事のCOPがどれほどの茶番なのかを、「カタチ」と「中身」の順で考えましょう。結論をあっさり言えば、「関係者の全員が口先だけ。どの国も本気で考えてなどいない」となりますね。 気候変動・脱炭素」14のウソ』渡辺正著(丸善出版株式会社)