しあわせみんな 三号店

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日本の捕鯨は残虐非道!? 貶められた本当の理由

日本の捕鯨は残虐非道!? 貶められた本当の理由 そんな日本人と鯨との関係がいつしか歪められ、「食料」とは思えない若い世代が増えている。ある時、30歳の女性を鯨科理の店に誘うと、「鯨、食べるんですか!?」と眉間に 皺を寄せ、衝撃を隠せない様子を見せた。それでも、私が鯨目当てにしばしば通っている新宿区歌舞伎町の居洒屋「樽一」に連れて行き、さまざまな部位の料理を実際に味わってもらったところ、「 赤身は牛肉みたい。脂は口に入れるとトロけておいしかった」と、認識を変えてくれたようだ。 食べたことがないから食指が動かないというのであれば、まだいい。やっかいなのは、鯨食イコール残虐非道で野蛮、という印象を抱いている日本人だ。 そもそも「鯨を食べるなんて残酷」という価値観は、欧米から流入してきた。しかし、考えてみてほしい。1853年、ペリーが浦賀に来航したのは、捕鯨船の寄港地を求めてのことだった。日本の江戸時代、すでに米・英・仏などでは捕鯨が盛んだった。彼らは基本的に、灯袖や機械油、マーガリンなどに利用できる「脂」が豊富な皮以外は海に捨てていた。鯨のことを「海に浮かぶ油の樽」と呼んでいたことからも、日本人の鯨との付き合い方とはだいぶ異質であったことがわかる。 1900年ごろから世界的に捕鯨産業が大きく発展した一方で、乱獲により一部の鯨は激減した。第二次世界大戦後の1946年、国際捕鯨取締条約が結ばれ、捕っていい大型鯨の頭数や種類が決められるようになった。その後、資源が減少したシロナガスクジラなどが保護されるようになり、商業として成り立たなくなったイギリスやオランダなどが捕鯨を中止。そして1982年、反捕鯨国が多数を占めるようになったIWCが裔業捕鯨モラトリアムを採択し、捕っても 間題ないと科学者が認めているクジラまで捕ることができなくなってしまった。 加盟国で捕鯨再開を強く主張してきた国は、伝統的な捕鯨国である日本、ノルウェーアイスランドのみ。強硬に反対している国は、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、オランダなどの畜産国だった。そこに、自国の畜産品を売るために鯨食を衰退させようとする意図を感じるのは私だけだろうか。日本はモラトリアムに対して異議申し立てを行ったものの、アメリカの圧力に屈してこれを撤回。1987年からは南氷洋での商業捕鯨を中止し、調査捕鯨を開始することになる。しかしこの調査捕鯨に対しても、反捕鯨団体シーシェパードが海賊まがいの妨害行為をたびたび行ってきた。 さらに2010年、国際的な反捕鯨団体の主張を一方的に取り上げた映画『ザ・コーヴ』が、あろうことかアカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞を受賞。多分に脚色されたプロパガンダ映像だったが、「日本の捕鯨は残虐非道」という印象を国際的に植え付けることに成功し、鯨食離れにも拍車をかけた。その4年後、「日本の調査捕鯨商業捕鯨の隠れ蓑である」というオーストラリアの訴えに対し、国際司法裁判所が日本政府に捕鯨プログラムの見直しを求めた。この日本「敗訴」の報に触れ、強い危機感を抱いたひとりの女性がいた。 『Renaisance Vol.13』ダイレクト出版 「消えゆく日本の伝統食」野生肉の復活を 葛城奈海氏より R050531