しあわせみんな 三号店

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2000年以上続く日本の皇室

2000年以上続く日本の皇室 紀元前12世紀、ヒッタイトは、東地中海沿岸を船に乗って荒らし回っていた「海の民」と呼ばれる謎の民族に滅ぼされたとされていますが、内紛によって国力が落ちて自滅したという説もあります。 ヒッタイトが支配していたアナトリアは、エーゲ海ないし地中海を経由してメソポタミアやエジプトと連絡する交易の要衝でした。ヒッタイトが覇権を握っていた時代も諸国の干渉には激しいものがありましたが、ヒッタイトの滅亡以降、遊牧イラン人が建設したアケメネス朝ペルシアが紀元前6世紀にオリエントを統一するまで混乱は続きました。 アケメネス朝ペルシアは紀元前5世紀にギリシア侵攻を目指すペルシア戦争に失敗し、紀元前330年、マケドニアのアレ クサンドロス大王の遠征軍によって滅ぼされます。 マケドニアはペルシアを滅ぼしたことでギリシアからオリエントにまたがる大帝国となりましたが、アレクサンドロス大王の死後、ディアドコイと呼ばれる後継者たちによって領土は分断され、内紛状態となりました。 当時、実力を増してきていたのがギリシア都市国家から始まったローマでした。 マケドニアはローマの進出に対抗しておよそ50年間の間に3度の戦争を試みますが紀元前168年のピュドナの戦いを最後に滅亡し、ローマの属州となりました。 ローマは紀元前1世紀末までには地中海全域の支配を完成させ、紀元前27年に初代アウグストゥスを掲げて共和政から帝政へと移行します。 このローマ帝国の成立をきっかけとして、現在のヨーロッパ諸国が歴史の表舞台に登場し始めることになるのです。 強国大国が衝突し合う激動と動乱の約2000年、これはすべて紀元前2000年頃のアーリア人の大移動が元となっています。西洋文明のバックボーンはここにあると言っていいでしょう。 ちなみに、エジプトは砂漠と海に囲まれて比較的安定した王朝が続いたと言われていますが、記録に残る紀元前3150年に始まる初期王朝から紀元前30年の最後の王朝プトレマイオス朝までの約3000年の間に31の王朝が興亡を繰り返しました。 1王朝あたり100年とは続いていない計算です。 覇権争いが激しいと言われる中国大陸の王朝の興亡を見てみると、多分に伝説的ですが「夏」という紀元前2070年に興った王朝から1912年に滅んだ「清」まで、三国時代という約360年間の分裂時代を挟むものの、約4000年間のうちに11の王朝の交代がありました。 1王朝あたり、およそ400年間です。 京都府京都市上京区に、794年の平安遷都以来明治維新まで1000年以上天皇が住まわれた京都御所が残っています。古来の内裏の形態が保存されている皇室関連施設です。 京都御所を目にして驚くべきことは、堀もなければ石垣もなく櫓(やぐら)もない(外敵から御所を防衛するための設備が何もない)ということです。 これは、観光名所としての意義を持って近年そうしたわけではありません。古来、天皇のお住まいにおいては外敵の襲来を想定していないのです。 海外の王朝ということに準(なぞら)えて言えば、日本は2023年現在で皇紀2683年です。つまり一つの王朝が2683年間続き、今後もまた続いていく―――という国なのです。 令和の御世で126代の天皇の下、天皇を殺して取って代わろうとする者などおよそ出現しない、平和的な文明を持続させてきたのが日本でした。 『かけがえのない国――誇り高き日本文明』 武田邦彦 ((株)MND令和5年発行)より R060123 102