しあわせみんな 三号店

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日本人の道徳心に驚いた、西洋の人々

日本人の道徳心に驚いた、西洋の人々 江戸時代の末期、日本を新たなマーケットあるいは研究対象として考える西洋人が大勢来日しました。それぞれに手記や研究記録を残していますが、その多くに共通するのは、「日本人の道徳心の高さに驚いている」、ということです。 たとえば、外国人に対して川の渡し賃を吹っ掛けることがない日本人の正直さに驚くなどしています。 江戸時代、幕府の本拠地・江戸を防衛するために意図的に、国境を形成する川には橋をかけない政策がとられていました。川は渡し船を使って渡る以外にありません。中国(当時は清王朝)では、何事も外国人は桁が違うほどの料金を吹っ掛けられるのが普通でした。西洋人はそれを覚悟して渡し船に乗るわけですが、日本では相場の料金しか請求されないのです。礼のつもりで余計に渡そうとしても、船頭はそれを受け取りません。 日本人はむやみに金銭を要求しません 。ここぞとばかりにごまかしたり、嘘をついたりするのが嫌なのです。 イザベラ・バードという1831年生まれのイギリスの女性探検家が1878年に来日し、東京や東北、北海道を旅したことがあります。この時の探検記は、彼女の著書『Unbeaten Tracks in Japan』にまとめられ、邦題『日本奥地紀行』として翻訳もされています。 イザベラ・バードが東北を旅行し、宿泊した宿で女中さんにとても良くしてもらったため、翌朝の出発時に心付けとしてお金を包んで渡そうとしました。ところが女中さんはこれを受け取らず、「私は女中として自分のすべきことをしただけのことですから、お金をいただくわけにいきません」と言うのです。 日本にはチップという制度がないので受け取らなかっただけのことかもしれませんが、「仕事を誠心誠意、心を込めてやる」というのが日本人です。お金が先にあって仕事をしているわけではない、ということがこの女中さんの態度からわかります。 また、この女中さんのエピソードは、日本人の「自己の確立の高さ」も物語っています。 女中さんは、自らの考えでチップを断りました。西洋では、「自己は高い教育によって確立する。一般大衆というものには自己は確立しない」と考えられ、キリスト教聖職者をはじめとするエリート層による大衆支配の根拠とされていました。 ですが日本のこの女中さんは、おそらくは学校になど行っておらず、貧乏で、勉強もしていないはずですが、自己(自分)というものを確かに持っているのです。 エドワード・S・モースという、1877年に大森貝塚を発見したことで知られるアメリカの動物学者がいます。発見は発掘調査をともない、日本の考古学の先鞭となりましたが、ダーウィンの進化論を紹介して生物学を定着させた人物としても知られています。 モースは日本を気に入り、3度にわたって来日しています。研究の傍ら、関東だけでなく、北海道、関西、九州と日本中の風土を見て回りました。モースは日本での体験を1917年に、『Japan Day by Day(邦題/日本その日その日)』という著書にまとめています。 モースが来日中、最も感心したことは、「日本人は他人のものは盗まない。日本人はしてはいけないことはしない」ということでした。 「私は襖を開けたままにして出かけるが、召使いやその子供たちは、私の部屋に出入りこそするけれど、お金がなくなったことがない」と、たいへん驚いています。 また、モースがある女性医師と東京の街を人力車で移動をしている時のこと。道路の傍らで盟(たらい)に湯を張って裸で行水をしている若い女性に出くわしました。 モースは「オイオイ、あんなところで行水をしているぞ」と言って思わず見入ってしまいましたが、彼と女性医師を乗せた人力車を引いている車夫はまったくそちらを見なかったのです。 モースは「我が国では、特に車夫のような肉体労働に就いている男はたしなみがなく、裸の女とくればまずはじろじろと見てしまう。ところが日本人の若い車夫は一切、そんなことはしなかった」として、これもまた大いに感心しています。 『かけがえのない国――誇り高き日本文明』 武田邦彦 ((株)MND令和5年発行)より R060114 79