しあわせみんな 三号店

日本人は太古の昔から「しあわせみんな」という素晴らしい知恵をもって生きてきました

五 寛容

五 寛容 常朝は、けっして人を責めるに厳ではなかった。そして手どころということを知っており、次のように言っている。 「何某(なにがし)当時倹約を細かに仕る由申し候へば、よろしからざる事なり。水至って消ければ魚棲まずと云ふことあり。およそ藻がらなどのあるにより、その森に魚はかくれて、成長するものなり。少々は、見のがし聞き のがしある故に、下々は安穏なるなり。人の身持なども、この心得あるぺき事なり。」(聞古第一 一〇八頁 ) 徳川時代には、たびたびの倹約令が出て武士は節倹を本位とし、いまの大衆消費時代とはまったく反対の、きゅうくつきわまる生活を生きていたように思われている。この考えは近時の戦争中にもなお続いていた。ただひたすらにぜいたくを押え、節約につとめれば、それがモラルであると考えられていた。戦後の工業化の進展によって、大衆消費の時代がきて、このような日本人独特の倹約のモラルは一掃されたように見えた。 「葉隠」は、一方的な、儒教的なかた苦しい倹約逍徳に対して、初めから自由な寛容な立場を保っていた。あくまでも明快な行動、豪胆な決断を目標とした葉隠哲学は、重箱の隅をほじくるような、官原的な御殿女中的な倹約道徳とは無緑であった。そして、その思いやりの延長上におのずから、見のがし、聞きのがしという、生活哲学を持ち出している。そして見のがし、聞きのがしという生活哲学は、かた苦しい倹約哲学の裏側にあって、いつも日本人の心に生きていたものであった。現代では、見のがし、聞きのがしの度が過ぎて、すぺて見のがし、聞きのがしのほうがもとになってしまったことから、「黒い霧」といわれるまでの道徳的腐敗が惹起されることになった。それは寛容ではなくて、ただルーズだというだけだ。 きびしいモラルの規制があるから、見のがし、聞きのがしが人間的になるのであり、そういうモラルの崩壊したところでは、見のがし、聞きのがしは、非人間的にさえなるのである。 『葉隠入門』三島由紀夫 (新潮文庫)   20240731  P44