●毒物にしたいために行われる実験 ここで一気に少し難しいことも整理しておく。 一般的には「毒」というと十把一絡げだが、専門的には毒性のタイプごとに調べていく。ダイオキシンの免疫毒性の場合には「胸腺の萎縮」が問題になるが、これはモルモット、ラット、マウスのいずれにも影響が見られる。体重1キログラム当たり0.1マイクログラムのダイオキシンを投与したマウスをインフルエンザにかけると、インフルエンザの致死率が2倍に増える。こんな風に調べていくので毒性というのはなかなか厄介である。 ウサギやアカゲザルのように高等生物になってくるとさらに難しい。ウサギにダイオキシンを与えると流産や胎児死が増加し、アカゲザルでは投与董を増やすと生殖能力の低下が見られている。 ダイオキシンには毒性があるが、その影響はそれほど一定して決まっているわけではないことがわかった。しかし、これまで「猛毒だ」と信じられていたのはどうしてだろうか。 マスコミは、新たな猛毒を発見などと言えば視聴者や読者が注目して販売部数が増えたり、視聴率が上がるから何でもそうすれば良いと言っても過言ではないほどである。環境に興味のある人なら、「魚の焦げは発ガン性物質」「甘味料のチクロも発ガン性あり」と思っている人がいるはずだ。両方とも新聞が大々的に報道したからである。 しかし、両方とも今では発ガン性はないとされている。魚の焦げは平成13年に訂正報道があり、チクロの方は平成12年の「朝日新聞」に次のような記事が出ている。 「人工甘味料サイクラミン酸Na(チクロ)のサル長期経口投与実験で発がん性が確認できなかったとの最終報告が、『TOXICOLOGICAL SCIENCES: 53, 33-39 (2000)』に発表された。 毒性科学 |オックスフォードアカデミック (oup.com) チクロはネズミに膀脱がんを起こすとして1969年に米国、日本等で禁止された。実験は、1970年より米国国立がん研究所グループが行っていたもので、病理検査は高山昭三・昭和大学客員教授(元国立がんセンター研究所長)が担当した。サル、500ミリグラム/キログラム(体重)投与群:11匹、100ミリグラム/キログラム(体重)投与群:10匹、対象群:16匹で行われ、 1994年に解剖された」。 チクロが禁止されてから30年、今さらチクロに発ガン性がないと言われても、30年間チクロを用いた甘い物を食べられなかった事実は返ってこない。危なそうなものは注意してもし過ぎることはないと反論してくるだろうが、報道は事実報道が期待されていて、危険を煽るために報道があるわけではないし、新聞は保健所でもない。 多くの生物の中には「特定の物質に非常に弱い生物」がいる。例えば、人間にとっては酸素がなければ生きていけないが、酸素があるとすぐ死んでしまう変わった生物もいる。極端な話だが、仮にそのような生物を取り上げてテレビや新聞で報道し、酸素は猛毒だから呼吸してはいけないなどと言えば、人間は皆死ぬ他ない。笑い話ではなく、実際に珍しい生物を選んできて、その生物にとって毒であるから人間も危ないという荒唐無稽な論法がよく使われている。 ある時、誰かが「亜鉛を毒物にしたい」と思い、ヒラタカゲロウという昆虫を例にして「亜鉛は毒物だ」と騒いだ。それで世間は亜鉛の使用に慎璽になり、亜鉛不足で味がわからなくなる病気、味蕃障害が出るようになった。 食べるものの味がわからないぐらい良いじゃないかという乱暴な話もあるが、毎日の食事に味を感じられないのは辛い。そして、味が感じられない病気になるのは身体に必要な亜鉛が不足しているからである。亜鉛は危険な毒物ではない。 「騒ぎ立てる方が正しい」という論法はそろそろ止めなければならないだろう。 『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』武田邦彦 洋泉社刊 2007年 20230803 82