しあわせみんな 三号店

日本人は太古の昔から「しあわせみんな」という素晴らしい知恵をもって生きてきました

まえがき2 ●かけがえのない国・日本、かけがえのない日本文明

まえがき2 ●かけがえのない国・日本、かけがえのない日本文明 その一方、幕末から明治初期に日本を訪れた西洋人の中には、「日本に西洋文明を持ち込んでも幸せになるとは思えない。すでに日本人は幸福である」と伝えた人も多くいました。 たとえば、「日米修好通商条約」(1858年)の締結で知られる初代駐日公使のタウンゼント・ハリスはその著書『日本滞在記』で、「人々は楽しく暮らしている。食べたいだけ食べ、着物にも困ってはいない。住まいは清潔で日当たりも良く、気持ちが良い」としています。 1873年から38年間日本に滞在したイギリスの日本学者バジル・ホール・チェバレンは『日本事物誌』など一連の日本研究書の中で、「貧乏人は存在するが貧困は存在しない。金持ちは高ぶることなく、貧乏人は卑下することがない。みな同じ人間だと心底から信じる心が社会の隅々まで浸透している」としています。 「江戸時代」と呼ばれる時代、その社会は「侍は名誉は取るがカネは取らない、商人にはカネはあるが権限はない」という制度を採っていました。権力とカネが分離されていて、西洋型の民主主義よりもはるかに安定性に優れていた制度でした。 また日本では、織田信長ほどの天下取りに長けた人物でも決して天皇を殺して自らがその地位に就こうとは考えませんでした。さらには日本人の誰しもが、今も昔も「織田信長天皇を殺すはずがない」と疑いもなく思っています。このこと自体が、実は驚くべきことなのです。 こうしたことはいくら説明したところで、西洋人には理解できません。西洋で言うところの合理的ではないからです。 日本文明と西洋文明とはまったく異なります。およそ4000年前に中央アジアステップ地帯に出現してヨーロッパに拡大したアーリア人の文明=西洋の文明と日本の文明との対立が、ある意味で「大東亜戦争」でした。 人類の歴史をむちゃくちゃにしてきたと言っていいアーリア人の文明が、植民地時代の最後に日本と衝突したのです。 正々堂々と戦っても、日本には勝てない。そこで米大統領フランクリン・ルーズベルトは日本人を皆殺しにしろと言い、後継のハリー・トルーマンが戦争行為を止めて原爆投下という虐殺行為を容認しました。ポツダム宣言は、敗戦ではなく、虐殺に耐えられないことをもって受諾したものです。 大戦後に、植民地だった国々が独立しました。 戦後間もない1955年に開催された「第1回アジア・アフリカ会議」(通称「バンドン会議」)に日本は招待されました。 会議には日本を含むアジア・アフリカの29カ国が参加し、各国代表から「アジア民族の解放を戦争目的とした日本の大東亜宣言がなかったら、あるいは日本がアジアのために犠牲を払って戦っていなかったら、我々は依然として、イギリス、オランダ、フランスの植民地のままだった」として熱い歓迎を受けました。 日本がなければ世界は悲惨なままでした。日本は西洋文明の暴走に歯止めをかけたのです。 力の序列ではない文明、人間一人ひとりを偉いとする文明を持つ大国は日本だけでした。 『かけがえのない国――誇り高き日本文明』 武田邦彦 ((株)MND令和5年発行)より R051216