しあわせみんな 三号店

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「西洋史」は西洋の押し付け?!

西洋史」は西洋の押し付け?! 15世紀半ばから17世紀半ばにかけて、ポルトガルやスペインといったヨーロッパの国々がアフリカ、アジア、アメリカの大陸に対して盛んに航海を行いました。いわゆる「大航海時代 」と呼ばれる時代です。 この時代がかつて、「大発見時代 」とも呼ばれていた時期があることを覚えている方もいるでしょう。 たとえば、1492年のクリストファー・コロンブスアメリカ大陸到達です。かっての学校教科書などでは「アメリカ大陸の新発見」などという表現で説明されていました。 「発見」というのは西洋側から見た言い方です。 発見などされなくとも、アメリカ大陸には多くの人々が暮らし、文明というものが 展開されていたのです。 最近は、大航海時代の意義については、「世界の一体化」というテーマの下で語られることになっています。 ヨーロッパ諸国の航海術の向上と世界全体に対する興味、グローバリズムの意識が大航海時代につながったとされているようです。 地球が球体であるということはすでに紀元前4世紀にアリストテレスが理論上で証明していました。ルネッサンス期1474年、パオロ・トスカネリという天文学者が改めて「地球球体説」としてまとめたことで注目されました。 コロンブスが計画した航海は、地球球体説を確認するために行われたものでもありました。 世紀末の段階で、西洋諸国は貿易振興のためにインド航路の開拓を大きな目標と して掲げていました。 アフリカ大陸の喜望峰経由の航路が有力視されていましたが、コロンブスは、大西洋を西回りで行ったほうが早くインドにつくのではないかと考え、結果、アメリカ大 陸に到達します。 大西洋を西へ向かったコロンブスの船団は意外に早く陸地についてしまいました。 現在の南北アメリカ大陸の間、カリブ海域にある群島でした。 インドの西の地域に違いない、ということでコロンブスは群島を「西インド諸島」としました。そして、現地の人々をインド人だと思い込んで「インディアン」と呼んだのです。 現在この地域はそれぞれの島が国として独立していますが、未だにこの地域は「西インド諸島」と呼ばれています。 こうしたヨーロッパ中心の発想は最近ではずいぶん修正されてきてはいるものの、まだまだ残っています。 『かけがえのない国――誇り高き日本文明』 武田邦彦 ((株)MND令和5年発行)より R060127 114