誰も予知できなかった「阪神淡路大震災」 1995年1月17日 、早朝の5時46分に「阪神淡路大震災」が起こりました。断層型地震としては歴史的にも最大級のものでした。 関西というのはそれまでほとんど大きな地震が起こったことがなく、よく関西の人は「東京の人は地震に慣れているけど、関西は慣れてないから」というような話をしていたものでした。 そんなところに阪神淡路大震災が起こって神戸市を中心として非常に大きな損害を出しました。当時は自社さ連立政権だったのですが、村山富市首相は午前10時ごろに地震が起こったのに、午前10時頃になっても「何か関西で地震が起こったんだって?」というボケた対応をして大きな聾楚(ひんしゅく)を買うことになりました。 いずれにしても、大きな地震がそれまで全然予想していなかった阪神淡路のほうで起こったということは衝撃的な出来事でした。
ところが、地震を研究している人たちは、自分たちが地震の予知で膨大な利益を得ているものですから、のんびりとしたものでした。 大震災が起きたときにたいていは地元の大学、このときは阪神地区での地震ですから大阪大学や神戸大学というところの地震学者が現地調査に出ていくのですが、なんといっても日本の地震研究においては東大の地震研が力を持っていましたから、このときに東大地震研と京都大学で調査を独占するという科学的にも変なことが行われました。 今は科学の世界において、本当に科学に興味があって純粋でお金にこだわらない学者というのが非常に少なくなってきています。多くの学者が極めて政治的な動きをするということが、地震予知を混乱させてきたのです。 このときも、阪神淡路大震災があったにもかかわらず、地元の大学があまり調査にかかわれない。そして一説によると、この阪神淡路大震災の調査の研究費の配分についてもかなりの暗躍があったと言われています。 『フェイクニュースを見破る 武器としての理系思考』武田邦彦 (ビジネス社刊) R060528 P069