しあわせみんな 三号店

日本人は太古の昔から「しあわせみんな」という素晴らしい知恵をもって生きてきました

似非科学が人々を害する

似非科学が人々を害する 血圧やコレステロールなど人間の身体は自分の身体を最善にするために懸命に努力をするわけです。 自分の身体ですから、自分の身体を壊してお金を儲けたいなどという人はいません。 ところが、社会はそれで一儲けしようという人が多い‥‥。 コレステロールのように、わかっていながらテレビが「減らしたほうがいい」などとウソをつく場合もあります。 タバコなどは体内での反応が非常に複雑なので必ずしもわかっていなかったという面もあるのですが、まあこれまでの生活習慣を否定するような論説が出てきたときにはそのだいたいがお金で左右されていると考えていいだろうと思います。 地球温暖化の問題などもす ごくお金を使っているウソなのですが、それでもまあ人間の身体に直接関係のないものであれば社会において多少の誤解を生じてもやむを得ないかもしれません。 しかし人間の身体の健康や命に直接関係のあることについて、お金が儲かるからとか、自分があまりよく考えていないからというような一方的な考えで、他人の幸福をないがしろにするというのは良くないことです。 学問をする者はそういう真面目さをしっかり持っていなければなりません。学問には力があるので、いい加減にやってしまうと他の人に被害を及ぼすことにもなります。 地震予知もそうですし、火山噴火の予知もそうです。御嶽山(おんたけさん)に登って爆発に遭遇して亡くなったお子さんの親は今でも「なぜ自分はあのときに子どもが御嶽山へ行くのを許してしまったのだろうか」と悔やんでいるそうです。しかしそれは東大の先生が「噴火の可能性なし」と言っていて、実際にそのような表示もな されていたわけですからこれは一般の方にはどうしようもないことです。 しかし学問というのは、そこで「噴火の可能性なし」と言えばそのために亡くなる方がいるということを肝に銘じなければなりません。「噴火の可能性があるというと、地元商店街から苦情がくるから……」などという理由で、人の命を左右するのは学者とは言えないのです。 血圧を下げればいいといって下げたことで亡くなる人もいるし、タバコをやめてノイローゼになる人もいる。 そういう人は本当に真面目に医師やテレビ の言うことを信じてやっているにもかかわらず、それが自分の健康を蝕(むしば)んでいるということに気づいていません。 だからこそ私は「学者はどんなに世の中で言われていることと違っていても、自分の学問的信念に基づいたことをキチンと言わなければいけないし、世間に向けて発言するときにはよくよく調べて間違いのないことを言わなければいけない」と思うのです。 そのことは本書の一つのテーマなのですが、なぜ我々は蝙されるのかというと、イチにも二にも「みんなが言っているから」ということが原因です。 私の経験でいうと「みんなが言っていることとは違うけれどもこれが本当だ」ということをちゃんと根拠も示して発言したときに、多くの人は私を攻撃してきます。 つまり、多くの人たちは学問的に正しいかどうかということよりも、みんなが言っていることをやりたいのです。 今回の新型コロナウイルスについて言えば、「マスクをする」ということがそうです。 マスクをしないからといって喧嘩になったりもしていますが、ウイルスの大きさは0.1ミクロン、マスクの平均的な孔の大きさは30ミクロンですから、300倍の孔の空いたところでウイルスを止めるというのは原則として無理なのです。

みんなで気をつけているという“印”としてマスクをつけているということであればそれはそれでいいのですが。「マ スクをしているから自分はコロナウイルスに感染しない」と思っている人がいるのなら、それは残念ながら 間違った考えであって、科学的に正しく考えれば「300倍の孔の空いたマスクをしてもウイルスが口の中に入ってくることを防ぐことはできない」ということなのです。 「ほとんどの人がマスクをしても感染が収まらない。なぜだろう?」と首をひねる人もいますが、科学的に間違っていれば効果が出ないのは当然です。 科学者は絶対に科学的なウソを言わないという強い信念を持ってもらわなければいけないと再度言っておきたいと思います。 『フェイクニュースを見破る 武器としての理系思考』武田邦彦 (ビジネス社刊) R060624 P146