学術会議や国会議員も本業を忘れ金もうけに走る これはメディアだけではありません。最近問題になった「学術会議」の任命問題もそうですが、その学術会議にしても非常に偏っています。 私も学会にいましたからよく知っていますが、昔は学術会議の議員というのはそれ ぞれ学者たちの投票によって決まりました。そのため私のところにも「投票してくれ、投票してくれ」と山のように手紙が来たりしました。 私が若いころ、本当に学問 一筋で頑張ってやっていた先生が、年を取って学術会議の候補者になったりすると、名誉に目がくらんだり他人との競争の意識にとらわれたりして、醜い議員の得票争いをしていました。 その後、少し制度が変わりましたが(政府の任命など)、なにしろ学術会議に入るととにかく威張ることができるのですね。多くの先生方が、何十年も経つと知らず知らず学問を追求する心が薄れ 、傲慢になっていきます。 そのような在り方が学術会議の衰退を招き、学問に対する世間からの批判を浴びるようになったのです。 現在の学術会議は残念ながら1回潰して、本当に学問的な興味から国民に学問を知らせるような機関にしたほうがいいのだろう‥‥と私は思います。 これは国会議員にも同じことが言えます。いざ当選してしまうと街頭での演説をしなくなる議員は非常に多いですね。 社会を良くしよう、日本を発展させようと思って国会議員になったのであれば少しでも自分の考えを社会に伝えて、社会がそれに 応じて良くなることを期待しているはずですが。 2020年には安倍晋三総理大臣が辞職して、それに代わる首相を決める自民党総裁選挙が行われました。これは自分の意見を世に広める絶好のチャンスです。 新型コロナウイルス、その他の重要な案件、アメリカと中国の争いなどの諸問題が山積みされているわけですから、これに対して国会議員、なかんずく首相候補の人は率先して自分の意見を訴えて、国民や議員仲間 からの支持を受けた上で、自分が首相になる。大臣 になるという道を選ぶべきでしょう。 それなのに当たり障りのないことを言って、あまり難しい問題には触れたくないというような態度をとっていました。 これは社会の衰退にともなって表れるふるまいです。すでに20世紀初頭にはドイツのマックス・ウエーバーという有名な社会学者が看破していたことでもあります。 マックス・ウエーバーは今から100年前から「学問が好きで大学の教授になっている人はいない、政治が好きで政治家になっている人もいない 」というようなことを言っています。そう考えるとこうした社会のゆがみというのは相当深いものがあるのだろうと思います。 『フェイクニュースを見破る 武器としての理系思考』武田邦彦 (ビジネス社刊) R060708 P185