しあわせみんな 三号店

日本人は太古の昔から「しあわせみんな」という素晴らしい知恵をもって生きてきました

おわりに 福島第一原発事故から1年後の春に

おわりに 福島第一原発事故から1年後の春に 日本人に「原発」のような巨大な技術は、まだ無理だったように思う。 原発を稼働させれば放射性廃棄物が出るに決まっているのに、原発の電気だけ欲しさに、廃棄物をしまうところもないまま、厳しい安全基準も設定しないまま、そして重大な事故があっても東京に危険が及ばない地方で、なし崩しに運転を続けた。 日本が原子力に踏み込むとき、「原発推進機関から独立した機関 が安全審査を行う」と事前に決めておいたのにも関わらず、原発を推進する経産省の 組織内に「原子力安全・保安院」などという矛盾した組織を作った。 福島第一原発の事故後、原発再稼働のための「ストレステスト」を保安院が行うことになっても、その矛盾を指摘するマスメディアはなかった。 「被曝はできるだけ少なくしましょう」などと言っていた専門家や国の機関が、福島原第一発事故が起こるやいなや、「ある程度被曝しても大丈夫」「食べて応援」「危険を煽るな」と言い出した。さらに、法律で定められた安全基準もすべて無視した。 このような現象が偶然に起こるはずもなく、原発というものが日本人の科学的論理性、判断力、決定力、誠実さなどをはるかに超えていたものだったと考えざるをえない。 今後、「いつ原発を再稼動させるべきか」についての議論は、日本人が原発を安全に運転するだけの能力が傭わってからでも遅くない。その前にまず、ウソのない誠実な社会を作り出すことこそが、 日本人に残された唯一の道筋なのだろう。 平成 二十四年 三月 武田邦彦 『反被爆宣言』武田邦彦著 双葉社刊 2012年 より