しあわせみんな 三号店

日本人は太古の昔から「しあわせみんな」という素晴らしい知恵をもって生きてきました

●根源的な意味での現代の環境破壊とは何か

●根源的な意味での現代の環境破壊とは何か かつて私はそうした状態を漫画の上手い学生に描いてもらったことがある。 その絵に描かれた未来の人間の腕は、筋肉を使う必要がないために細く、足も歩行に耐えられない。思考や決定は全部頭に直結したコンピューターがやってくれるし、危険がないので心の勇気も失った。現代人がそういった存在になりつつあると思って描いてもらったが、それを見ていたら、将来の人間ではなく現在の自分をも暗示していることに気がついた。 自著に『日本社会を不幸にするエコロジー幻想』(青春出版社)という本があるが、現代の人間が科学の働きで、次第に人間の機能を失い、感動する心を失っていく様を描いた。 例えば、戦争がなくなるということは良いことだが、危険や戦争がなくなると究極的な勇気を持って立ち向かう場面が少なくなり、むしろ身内で弱いものを苛める場面が増えることがある。 せっかくごみが少なくなり空気がきれいになっても人は満足な人生を送れなくなるだろう。だから、一人の人間としては歩いて移動する必要があったり、多少は苦労がつきまとうような環境の方がむしろ望ましい。 エアコンの性能が上がり温度が均ーになれば、人間の身体は次第に体温調節の機能を失っていく。急激な寒さや暑さは人間に打撃を与えるが、それに耐えられる力が危機的な状況でも自分を救う。 放射線は危険だが、通常巌の放射線で人間の細胞にガンをつくることは難しい。下等な動物では放射線で発ガンさせることは容易だが、人間の細胞はなかなか発ガンしない。それは人間の細胞の防御機能が発達し、優れているからである。それを大事にしなければならない。 鳥インフルエンザなどの新しいウィルスが出現しても人間の優れた抵抗力があれば乗り越えていける。しかし、毎日の生活があまりにも衛生的過ぎて抵抗力を失えば、ひとたまりもないだろう。 鳥インフルエンザにしても狂牛病にしても、なぜこれほど急激に奇妙な病気が流行るのかをよく考える必要がある。表面的な対症療法的な対策を考えるのではなく、もっと根本的な意味での現代の環境破壊に注目していくことが必要ではないか。 『環境問題はなぜウソがまかり通るのか武田邦彦 洋泉社刊 2007年 20230930  213