しあわせみんな 三号店

日本人は太古の昔から「しあわせみんな」という素晴らしい知恵をもって生きてきました

少し前には、木々がそよぎ、蛙が鳴き、、、、

少し前には、木々がそよぎ、蛙が鳴き、、、、 少し前には、木々がそよぎ、蛙が鳴き、山間(やまあい)に夕日が真っ赤に沈む世界でわたしたちは生活をしていました。土を感じ、大地の懐(ふところ)に抱かれて眠ったものです。そして、その自然こそがわたしたちが守ろうとしている「環境」でした。 現代ではアスファルトの道路、激しく走るトラック、ここ一〇年来、動物一つ視界に入らない人工的空間がわたしたちを取り巻く「第二の自然」となりました。今では、自然を守るということは、コンクリートで固められた空間を守り、空中で寝る生活を死守することにかわったのです。日本では、まだ地方によって自然が残されています。しかし、それもあと数十年といわれています。日本列島という小さな島。その自然は近いうちに、なくなると予想されます。 まだ本来の自然が人間の社会を取り囲んでいる頃、一八世紀のヨーロッパ。ベートーベンが作曲を続けていました。 ベートーベンは人類が生んだ最も偉大な作曲家の一人です。それは、彼の時代から二〇〇年も経つ現代になっても、そしておそらくは、これから長い間、ベートーベンの曲を聴いて魂が洗われ、また深い感動を覚える人は多いだろうことからも言えるでしょう。 第六交靱曲「田園」を聴き、ピアノソナタ「月光」を弾くと、その当時の自然が彼に語りかけた、自然の息吹を感じることができます。それが、彼の想像力をさらに刺激します。「運命」「熱情」そして「皇帝」と名付けられるような魂を揺さぶられる曲、そして感動は、そういう環境が巨人に「語りかけ」、彼のたぐいまれな感性がそれに応じて生みだされてきたものと思われます。もし、ベートーベンがマンションに住み、わたしたちのように空中に寝ていたら、人工的な環境は全く別のインフォメーションを彼に与え、異質な作品が生まれたでしょう。雑多なビル、ところ狭しと並ぶ広告、無計画に走る舗装道路、コンクリートで保護された痛々しい山肌からのメッセージを彼がどのように聞くことになるのか、おそらく、あれほどの美しい、感動的な曲を作ることはできなかったことでしょう。 実は、わたしたちは「環境」を失うと同時に「感動」を感じる空間そのものを失っているような気がするのです。感動を失うことは人生の時間を失うことでもあります。 そして、このようなことが、わたしたちの世代だけのものならよいのですが、すでに幼い世代は、この雑然とした人工的環境のなかで育ち、その被害に遭っているようにも思えます。悪い環境を作りだしたわたしたちは、その環境で育った若い人を見るとこころが痛みます。 『日本社会を不幸にするエコロジー幻想』 武田邦彦著 (青春出版社 平成13(2001)年刊) 20231015  40