しあわせみんな 三号店

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免疫力を低下させる「抗菌剤」

免疫力を低下させる「抗菌剤」 同じような例に「抗菌剤」があります。 人間は四五〇万年前に誕生して以来、他の生物と共存してきました。「他の生物」はウマやウシ、ヤギなどの家畜はもちろん、鳥や獣、魚との共存も大切でした。そればかりではありません。人間の腸のなかには多くの細菌が生きていて消化を助けたりしています。 また、人間の環境は「良いもの」だけに囲まれて生活をしているわけではありません。多くの細菌は人間の命をも奪いかねませんが、そのような危険な細菌も人間にとって何らかの役割を果たしていると考えるべきなのです。 現代の社会は「現実を喪失」しているところがありますから、目に見えない細茜を怖がり、「抗菌剤」を使った商品が誕生してきました。もちろん衛生状態は良くなければなりませんが、それは普通の生活をしていれば体の防御反応が有効に働くのであり、もし、そうでなければ人間はとうの昔に死に絶えています。 ところが現代は架空の環境のなかで、頭脳だけが異常な反応をします。そして「どんなものでも細菌があっては困る」という極端な潔癖症が生まれ、抗菌剤で囲まれた生活を送ります。人間にとって細菌が要らないと言っているようです。 もともと土のなかには何億という細菌や微生物がいて、その土を裸足で踏んでいるから人間は健康という側面があるくらいですから、日本のように土足で家のなかに入らない国民は十分に綺麓な環境に住んでいるのです。 さらに抗菌剤を使うので免疫力が低下し、それを狙って細菌が繁殖します。例えば、腸球菌という細菌は、二〇年ほど前に病院で見られるようになった耐性菌で、免疫力の下がった人を狙って、尿感染症、創傷感染を起こし、治療が不能であると言われました。つづいて、一〇年ほど前にはアシネトバクター属といわれるものが出現、免疫力の下がった患者が敗血症になる例が見られるようになったのです。 もともと人間を含めた生物は他の生物との共存によって生きていること、他の生物は細菌や微生物も含まれることを忘れかけているのです。 このような仕組みで、より複雑な例を示します。 それは、なぜ人間が老化するのかという研究です。最近では、人間が老化するのは、人間のDNA内の端の部分が年齢とともに徐々に短くなり、それが死ぬ準備をしているということが判ってきました。このことをより本質的に表現すると、体のなかのDNAが体細胞を捨てたいと考えるからだと言われています。 生物の体のなかの追伝子、つまりDNAは「からだ」自体ではありません。 DNAにとっては体は「自分の宿主」にしかすぎませんので、生物としての体が弱ってくるとDNAも住み心地が悪いので、新しい体に変えようとします。これが生殖活動であり、子供という新しく新鮮な体の生命に「DNA」が移動するのです。 ウェステンドルフ博士はごく最近、一七柑紀から一九世紀のイギリス貴族の家系データを調べ、死亡年齢別の子供数を集計しました。それによると六〇歳までは長生きする貴族ほど子供数が多かったのですが、七〇歳、八〇歳と当時としてはかなり長生きする人の場合には子供数が減っていることが判ったのです。つまり、この結果は、「早く死ぬ体質の人は体の抵抗力が低く、DNAの補修能力も低いのですが、その場合は子供をたくさん作り、反対にDNAの補修能力が高い人はそれだけDNAにとっては安全なので、子供を産む能力が弱いことを示している」と解釈されて、ショウジョウバエなどの実験動物でも観測されています。 この事実は自然が常に全体の調和をよく考えていて、全体のためには「部分的な正しさ」を犠牲にしていることが判ります。また、人間の集団である社会にも深い意味を持っています。もし、長寿によって子供の面倒をより長い期間にわたって見ることができるようになると、DNAは生き残こるチャンスが増えるので子供をより少なく作るようになると考えることもできます。そのために、現代の日本で一人の女性が出産する子供の数が減るのは、女性の教育水準の向上や女性の自立能力が高くなるなどに帰する考えもありますが、DNAの指令とも言えるのです。さらに、うがった見方をすると、内分泌撹乱化学物質によって男性の精子の数が減少していると言われていますが、もう少し視野を広くして見ると、DNAが男性の精子の数を減らしつつあるともとれます。 生存環境の悪い社会ではそれほど多くの生命を維持できません。そのために、DNAは様々な方法で出生率を低下させ、全体としての調和をはかっているのでしょう。 一日でも寝ていると骨のカルシウムが失われるように、体の順応力は、いらないと判断するとすぐその機能を捨てようとしますし、反対に危機と感じたらそれに敏感に応じるだけの用意もされています。ウエステンドルフ博士の研究のように、一つ一つのことを取り上げるといかにも正しいように見えても、全体として考えるなら不都合だというときに、「部分的な正しさ」を重んじるか、それとも全体の調和を考えるかというときになると、生物はとたんにその態度を変えているのが判るのです。 『日本社会を不幸にするエコロジー幻想』 武田邦彦著 (青春出版社 平成13(2001)年刊) 20231112   137