◎脳以外は人間の器官のブタ
それなら、ということで、人間の欲望はしだいに拡がります。 いっそのこと、人間肝臓ブタが作れるなら、人間腎臓ブタ、人間心臓ブタ、人間皮膚ブタなども役立つかもしれません。そうすれば肝臓も、腎臓も、心臓も、やけどしたときの皮膚も飼育しているブタから提供を受けることができます。さらに「人間足ブタ」を作れば、何かのケガで脚を切断したとき、人間足ブタから脚ももらえます。 要求はさらにエスカレートします。 そのうちには「えい、面倒だ!」ということになり、肝臓だけブタとか皮膚だけブタとか区別をすると病院に飼育しておくブタの数が多くなるので「脳だけブタで体は全部人間」というブタを作っておいた方が能率的だと誰かが提案をするでしょう。何しろ効率一辺倒ですから、飼育するブタの数を減らせばよいのであり、全体的なことは考えもしません。 かくして二本足で歩き人間の体を持ったプタが出現、病院の横に大きなオリを作りそこに「人間からだブタ」が大量に飼育されることになります。 そうなるとオリのなかのブタの体は人間と同じなので、意外に面倒なことが予想されます。例えばブタのメスは人間の女性と同じ体をしているので裸で飼育しておくのも風紀を乱す、着物を着せておかなければならない、オスのブタとメスのブタを同じオリに飼っておくと白昼公然と猥褻行為をしてもらっても困る、ということになり、「おとこブタ」の豚舎と「おんなブタ」の豚舎が用意されるでしょう。 さらに、いったいこの「人間からだブタ」は人間として扱うべきであろうか? それともブタか? 体はすっかり人間なのだから、どのように取り扱えばよいのだろうか? 人間の欲求を巧みに隠した議論は止まるところを知らず、そして、人間の欲望はブタで止まることもないでしょう。 人間肝臓ブタは、「部分的な正しさ」と「全体としての正しさ」の間の矛盾という意味でも示唆を与えてくれます。 「肝臓が必要なのだから人間肝臓プタを飼育して何が悪い」、「命の尊厳は判るけれど、現実に目の前の病人はどうするのだ」ということを個別に判断すると、それは「正しい」ということになります。 地球は丸く、美しいものです。そこに太陽が暖かい環境を提供し、海が柔らかい水蒸気をもやもやと立ち上らせ、雲を作ります。雲は青い空を悠然と泳ぎ、日陰と雨の恵みを地上にもたらします。地上には緑の草が一面に生え、森は風でそよぎます。小さな動物も大きなゾウもともに自然のなかで生き、遊び、そしてその命を終わります。 そんな美しい地球は「実体を持った顔境」です。そのなかで、人間だけが特別な生きものに見えます。草原を壊し、木々をなぎ倒し、そこに汚いコンクリートの林を作ります。 地面は石油からとれた真っ黒なアスファルトで固めますが、アスファルトの下には小さな、目に見えない生物がうめいています。おそらくは、アスファルトの熱で土の表面に棲んでいた小さな虫は全滅したでしょう。 そして、時とともに酸素も水も来なくなった土には、生命の影は消えてしまいます。 舗装工事をする人にも、それを計画する人にも、アスファルトの下に閉じこめられる虫の叫びは聞こえません。それこそが、かけがえのない命なのに。 かくして、「架空の環境」が誕生します わたしたちの生きたこれまでの時代は、「少しでも能率良くする」ということが大切だったので、「部分的な正しさ」を主張し続けてきました。 それを「遠元主義」ということもあります。 それは、ものごとを、できるだけ細かくして、その細かいことを改善したり、その善悪を判断するという方法です。たしかに、生産を大切にし、できるだけ多く作る、ということが目的なら、この還元主義は力を発揮します。個別のものが良ければ、その足し算である全体は、それだけでは良い方向に進むからです。 「道路の舗装」もその例です。道路を舗装するのは良い。ホコリが立たなくなりますし、車が走っても泥を跳ね上げなくなります。 部分的には正しいのです。同時に、道路を舗装するということは、それまで道路の土のなかで生活をしていた小さな虫や微生物は皆殺しになります。それでも、一本の道路を舗装しただけでは、殺された虫の数は全体から見れば無視できるでしょう。 しかし、日本の国土の多くをコンクリートで覆うほどになったら、人間は、それによって大きな打眼を受ける危険にさらされます。それは、あるいは急激なアレルギー患者の増加となって現れるかもしれませんし、精神的な圧迫感を感じ、不愉快な生活が待っているかもしれません。 ただ、判ることは、「泥を跳ね上げないように」という「部分的な正しさ」が、「人間は本来、自然の豊かな環境のなかで、他の生物と共存しなければこころの豊かさを感じられない」という「全体としての正しさ」を破壊してしまうことは間違いないのです。環境の時代は全体の調和を考えますから、還元主義は力を失います。 『日本社会を不幸にするエコロジー幻想』 武田邦彦著 (青春出版社 平成13(2001)年刊) 20231013 33