しあわせみんな 三号店

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マンションという空中で寝ているわたしたち

マンションという空中で寝ているわたしたち わたしたちは、「架空」と「部分」をキーワードとした狭い、変な環境のなかで生活をしているのではないか? そういう疑問がふつふつと湧いてきます。 この節ではその疑問を解く一つの鍵として、「人工的な住環境」のなかに住むわたしたちということに焦点をあててみました。

夜、マンションの玄関を入り、わたしはエレ ベーターに乗って十一階の自分の部屋にたどり着きます。食事をして風呂に入り、テレビを見る。普段となんにも変わらない時間をすごし、一日の無事を感謝してベッドにもぐります。 深夜、ふと目が覚めると、どうも落ち着きません。夜が深いこともあり、自分の感覚はとぎすまされ、ベッドのきしみとわずかに下のほうから聞こえてくる車の音がわたしの耳をうちます。突然、わたしは、自分が空中で寝ていることに気がつくのです。もし、自分のマンションが透明の材料でスケルトンにできていたら、十一階で寝ている自分はさぞ滑稽でしょう。まるで空中で枕をならべているさなぎのように感じられます。 でも、空中で寝ているのはわたしやわたしの家族だけではありません。マンションのすべての人が空中に浮いています。そしてその隣のマンションも、また隣も、みんな空中で寝ているのです。 わたしの目はしだいに上空に昇り、港区の風景が目に入ります。深夜というのにまだ眠らない都会。二本の光が蛇のようにくねっている高速道路。そのなかに無数のマンションが並び、人間が空中で枕をならべて寝ているのです。 それでも、空中に浮いて寝ること、それはまさに人間の二〇世紀の希望と夢の一つの形でもあったのです。 このような変な夢、人工的住環境はいつ頃から生まれてきたのでしょうか? ホイットニーが工業部品の標準化という着想を考えだし、同じ規格で同じ品質の部品を作ることに成功したのは、今から二〇〇年前、一八世紀の終わりでした。そして、それは自動車王、フォードにベルトコンベアーのアイディアを生みださせ、T型という新しいコンセプトの自動車として結実したのです。 T型フォードと呼ばれた、この大量生産の車は、 「フォードの車を追い越すことはできない。T型を追い越せば、その先はまたT型だ」 といわれるほど普及しました。前にのろのろと走るT型フォードがいるのでイライラして、やっとそれを追い抜くと、またその先にT型フォードがいる、何台追い越しても同じ車が走っているというわけです。 T型フォードの大量生産方式は、やがて多くの産業に拡がり、石油化学、鉄鋼、内燃機関の発達とともに、桁違いの工業製品が作りだされました。人類の誕生以来、二〇世紀の初めまで、常に物不足に悩まされてきた人間にとって、生活に困ることのないほどの物質の供給という人類の夢がかなえられたのです。 今や先進国では物質があふれ、コンクリートで作られた人工的環境が町を支配しています。東京都の北方、大宮市の高いビルの上から、はるか南の方に目をこらすと、東京のビル群を越えて横浜の「みなとみらい」の高いランドマークタワーが見える気もします。 そこまで直線で約五〇キロメートル。ほぽ人間の視界の限界です。そして、その視界の限界まで、アスファルトの道路、ビッシリと立ち並んだビル。緑の木々はほんの少しで、土を見つけることができません。完全な人工的空間、人工的な自然環境です。もちろん他の生物との共存はまったく拒否しています。僅かに、視界の途中にある上野動物園のオリの中に閉じこめられた動物たちの悲鳴が聞こえるような錯覚にとらわれます。 「空中で寝ること」はわたしたちから何を奪っているのでしょうか。 『日本社会を不幸にするエコロジー幻想』 武田邦彦著 (青春出版社 平成13(2001)年刊) 20231014  39