「どうぞ」といって席を譲ると、それはお年寄りの骨を盗んでいるかもしれない 人間の体は難しいもので、きついからといって座ってばかりいるとカルシウムが流失して骨が細くなっていき、骨が細くなればますます立っていることが辛くなり、また座りたくなるという悪循環に陥ってしまう可能性もあります。 お年寄りに申し訳ない気もしますが、こころを鬼にして立っていただくという考え方もあります。お年寄りや体の不自由な人のための優先的な座席としてのシルバーシートは大切なものですが、シルバーシートが空いているからといって、お年寄りがそれに無理矢理座らされるのはかえって良くないかもしれません。シルバーシートは「ものの時代」の産物で 、「こころの時代」の考え方では、お年寄りにできるだけ「立つチャンス」を提供することが良いとも言えます。「どうぞ」といって席を譲ると、それはお年寄りの骨を盗んでいるかもしれないからです。 ところで、本著ではエスカレーターやシルバーシートなど本来は楽で得と感じるもので、骨のカルシウムが体外に流出するということを「骨を盗まれる」という表現を使っています。それについてはこう考えられます。 人間が狩猟や農耕で一日中筋肉を使って働いている頃、一日三時間以上立っているのは当たり前でした。その時代には「座ること」は休息であり、人間に休息を「与えてくれる」もので、それはありがたかったのです。しかし、社会が高度化して科学技術が進み、生活様式が一変して一日三時間も立たない現代では逆に「座ること」は人間の骨を盗むことに変質したからです。つまり、かつてイスは人間に労働の疲れを癒す道具だったのに、分岐点を越えた現代ではイスがわたしたちの骨を「盗むもの」に変身しているのです。 お年寄りのためにシルバーシートを用意すること自体は「部分的な正しさ」を持っているのですが、もしお年寄りが「座りたくない」と思っているときには無理に勧めるのは、結果的にお年寄りの骨を盗むことになるという点で、「全体としての正しさ」に欠ける行動となります。 このように、現代のような架空の環境のなかに生きる時代には、「良い」と思うことが、実は「悪いこと」であるという例は多いのですが、この「座る方が立つより悪い」ということに気がついている人は少ないようです。つまり、現代の日本の生活では、すでに、本当は座るのは「損」であり、立っているのが「得」となっているのですが、生活の常識はまだまだ反対です。特に、普段の生活ではそんなに座りたくなくても、不思議に電車に乗るとわけもなく座りたくなります。それも、長旅で数時間も汽車に乗るのなら座りたくなるのも判りますが、山手線や地下鉄で僅か一〇分か二〇分乗っているだけなのに、我先に空いた席を見つけて座る人がいます。 実は著者も最近までその傾向がありました。それでも我先に席に突進するのは恥ずかしいので、何となく近づいてから座っていました。朝の電車では前の日に寝不足したときなどときに座りたくなりますし、夕方は夕方で疲れていて座りたくなります。 『日本社会を不幸にするエコロジー幻想』 武田邦彦著 (青春出版社 平成13(2001)年刊) 20231120 162