しあわせみんな 三号店

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通説より古くからあった「稲作文化」 問題は、「近隣諸国条項」による自国史の改竄だ

通説より古くからあった「稲作文化」 問題は、「近隣諸国条項」による自国史の改竄だ 「稲作」は、忘れてはならない日本を代表する文化、技術と言えるものの一つです。 学校の歴史教育などを通して、「稲作は中国から朝鮮半島を経由して日本に渡ってきた」と一般的には考えられています。稲の原産国は東南アジアのタイやベトナムあたりとされており、稲作は中国から朝鮮半島を経由して渡来したと考えてしまうのは不思議ではありません。 しかし、最近はDNAの解析が進んで、旧来有力とされていた朝鮮半島経由説ではなく、中国大陸の南方から、あるいは南方の島から直接渡来したのではないかという説が有力です。 日本の教科書検定基準の一つに、「近隣諸国条項」というものがあります。教科書として採用されるためには「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること」が必要であるとする、1982年に規定された条項です。 稲作は中国発朝鮮半島経由であるという説がほぼ常識化してしまっているのは、この近隣諸国条項に大きく関係します。今でもそれは変わることはありませんが、一時期、教科書を検定する側が近隣諸国条項により、表記において中国や朝鮮の文化が優れているという前提を強要していた、という背景があるのです。 つまり、「日本は文化・文明の遅れた地域だった」という表現をしないといけない、と政治的に決められていました。

(近隣諸国条項とは直接の関係はありませんが、このような偏向した説明を掲載する歴史教科書が無数にあって、日本の子供たちの知識を曇らせています。楠木正成を悪人と呼び、本来の歴史的な働きを封殺しています。) 考古学者の江上波夫が「騎馬民族日本征服論」を提唱した1967年の『騎馬民族国家 日本古代史へのアプローチ』(中央公論社)が、近隣諸国条項が規定された直後の1984年に復刊して話題になったことがあります。 「日本は東北ユーラシア系の騎馬民族に征服されてできた国である」、という説ですが、これなどは、近隣諸国条項に従い、政府や他国に胡麻をすって名を売りたい反日学者ならではの説であると言えるでしょう。 そしてまた、日本の歴史学者や文部省は、日本の子供には日本の文化や技術や『古事記』『日本書紀』を教えないということを支持してきました。日本の素晴らしさには触れず、むしろ貶めることで相対的に中国や朝鮮の文化を高めるのが狙いです。世界のどこへ行っても、自分の国を事実より悪く言って喜ぶ国などありません、日本だけです。 よく言われる「すべての文物は朝鮮半島から渡ってきた」という説は、最近、むしろ逆であるとも考えられています。 1990年以降、朝鮮半島の南部で日本独特の「前方後円墳」が続々と発掘されています。時代考証によってその多くが日本から伝わったものであることがわかっていますが、現代の朝鮮の人や日本の文化人の多くは歴史的事実をそのまま認めようとはしません。 直近の研究によって、稲の渡来は中国南方、しかも縄文時代にはすでに渡来していた、と大幅に修正される可能性があります。縄文時代弥生時代には土器の形態や文様など確かに文化的な違いはありますが、「縄文時代は狩猟生活」「弥生時代は稲作文化」という線引きはできないのです。 「稲作文化」というくくりで言えば、それはむしろ縄文時代のかなり古い頃から始まっていました。時期で言うなら縄文中期であり、つくられていた品種も独特です。 いずれにしても稲作文化は日本において、私たちが思っている以上に古くから始まっていました。そうした背景を持つ日本文明には、私たち日本人が自然を理解しながら育んできた自然への理解や愛情、そして技術と工夫があるのです。 『かけがえのない国――誇り高き日本文明』 武田邦彦 ((株)MND令和5年発行)より R060214 175