しあわせみんな 三号店

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「日露戦争」を勝利に導いた下瀬火薬と伊集院信管

日露戦争」を勝利に導いた下瀬火薬と伊集院信管 技術への関心の高さを教育体制がバックアップすることで、日本の技術力は瞬く間に向上していきます。1904年から翌年にかけての日露戦争の勝利も、その背景には日本の技術力がありました。 日露戦争における勝利を決定付けたのが日本海海戦での大勝ですが、その時に活躍した技術が「下瀬火薬」と「伊集院信管」でした。 下瀬火薬は日本海軍技官の下瀬雅允が開発した火薬です。 その特徴は、金属と反応してしまうピクリン酸をどう装填するか、そのアイデアにありました。下瀬雅允は砲弾の内側に漆を塗ってピクリン酸と鉄を分離することを考案してこの問題を解決します。

これにより爆発した時の温度も高めることができました。何より当時の火薬の主流であった黒色火薬に比較して発射時の黒煙が非常に少なく、発射した後の準備が容易になり、連続発射を可能にしました。「日本艦隊の大砲の発射間隔は、ロシア艦隊の10倍短い」、と言われました。 伊集院信管は、日本海軍大佐・伊集院五郎が考案した信管です。信管とは、弾薬を計画通りに爆発させるための装置です。 砲弾の安全装置が飛行中に外れるのが特徴で、極めて敏感に反応し、砲弾がどこに命中しても着実に爆発するよう設計されていました。 日本には、こうした兵器そのものの先進性に加え、命中精度を上げる発射技術と計 算力が備わっていたのです。 ちなみに、日露戦争はロシアの南下政策に対して日本が国防体制を採り、両国の国益確保にとっての重要地域である朝鮮半島を巡って起こった戦争です。 日本は勝利しましたが、ロシアの脅威は未だに強く、朝鮮半島の情勢は日本の国防を直接左右するものでした。 1910年、日本は韓国併合を行って、大韓帝国を統治下に置きます。 韓国併合については当時の国際関係と倫理観で考えて処理しなければならず、現在においての朝鮮半島朝鮮民族のものであるという現行の国際常識に沿って考える必要がありますが、今の朝鮮半島に暮らす人々および日本国内の一部の人々には、1910年に 日本は朝鮮を植民地化して35年間にわたる過酷な植民地支配を行った、という考え方があります。 韓国併合において日本は、植民地政策ではなく同化政策をとりました。 植民地政策とは、支配下に置いた地域から何もかもを搾取する政策です。そのためには残酷な手段もとります。 たとえば、イギリスはインドを植民地としましたが、自国の綿産業の利益を守るために数万人のインド現地の綿職人の手首を切り落とした、といった話が残っています。 植民地政策および植民地支配とは、そういうものです。 当時はすでに台湾も統治下にありました。日本は、朝鮮人も台湾人も日本人も皆同じであるからみんなで発展しよう、大日本帝国としてまとまった限りは同じように 発展しよう、という思想の下に統治政策を展開していきました。 たとえば、日本は1924年、大阪と名古屋での計画を延期してソウルに帝国大学を設立しています。 ブログ編者注(内容は、ウィイキペディアによる) 図は信管の概要図で「弾頭」に装着する「着発式」で「遠心力式の安全装置」を持ち、「瞬発」と「延期」の切替え装置を持っている。 用途としては野砲などの榴弾で使用されるものである。 起爆は鋭敏な点火薬が撃発されることで起こり、起爆薬から添装填薬へと伝わり、砲弾の炸薬が起爆される。 1 撃針ブロック 砲弾が発射されると遠心力によって2.が解除され、太いばね(番号なし)の作用で先端が9.を押し退けて3.から露出する。目標に当たると衝撃で引っ込み、撃針部が4.を突いて発火させる。 2 遠心力式安全装置 砲弾が発射されるとライフリングによる回転で遠心力が生じ、1.を固定していたこれが細いばね(番号なし)に逆らって外側に押し付けられて外れることで解除される。 3 構造体 4 点火薬 目標に当たった衝撃で引き戻ってきた1.に突かれて発火する。 5 遅延火薬 6 瞬発と延期の切替え装置 信管の側面に露出した小さなマイナスネジのような部分を90度回すことで切り替えられる。この部分の穴が開通していると、4.の火は直接7.に達するので瞬発する。逆に穴がふさがれていると、4.の火は5.を経由するので伝達がわずかに遅れ、0.1秒程度の遅延動作をする。 7 起爆薬 8 添装填薬 9 弾頭キャップ 砲弾が発射されると、2.が作動して1.が3.先端から突き出ることで外れる。 『かけがえのない国――誇り高き日本文明』 武田邦彦 ((株)MND令和5年発行)より R060209 155