しあわせみんな 三号店

日本人は太古の昔から「しあわせみんな」という素晴らしい知恵をもって生きてきました

「恐怖支配」のための石油枯渇説

「恐怖支配」のための石油枯渇説 石油枯渇を問題視する動きは、世界的に見ると1960年代の初頭から密かに起こっていました。 日本が安保闘争で大騒ぎをしていたその裏側で、世界では国連を中心として、欧米諸国が「これから石油がなくなる」「持続性が問題である」という運動をはじめていました。それによって「石油価格を上げよう」という、高度成長の第二段階へと進むための準備のようなことがはじまっていたのです。 国連が資金を用意して、アメリカのマサチューセッツ工科大学にコンピュータによる石油残量の将来予測をしてもらうよう依頼します。 そして、それを受けた同大学が出した計算を基にして、 1968年頃から「石油がなくなるのではないか」「現代文明はこのままでは長く続かないのではないか」と、「成長の限界」が盛んに議論されていました。今で言えば、「サステナビリティ(持続可能性)」 このように世界中で「石油枯渇説」が大きく議論されていたのに、日本の新聞やテレビは安保闘争の報道に集中していたため、日本国民は世界で何が起こっているかよくわからずにいました。

「石油枯渇説」が提起されることになった直接的なきっかけはメジャーと呼ばれる国際石油資本にあります。いわゆる「国際資本家」です。 当時は英米が中心となって中東の原油利権のほとんどを持っていました。しかし原油は非常に安くて、一樽を意味するバレルという単位で計算すると、1バレルはわずか2ドルでした。1バレルはリットルに直すと約160リットルになります。 現在の円ドルレートで言えば、1バレルわずか200円程度。1970年までは、1ドル360円に為替レートは固定されていましたが、それで計算してもバレルは720円でした。 そんな安値では採算はとれたとしてもボロ儲けはできません。これをなんとか儲けにつなげようと考えた国際資本家は、まず10倍の1バレル20ドルまでに上げようとしました。 しかし、原油の値段を10倍も上げるというのは非常に難しいことです。物価というものは一般的には需要を増やすことで上がっていきます。 自動車をたくさん走らせるとか、みんなに暖房器をたくさんつけてもらい需要が増え、供給が追い付かないから値段が上がっていくとなるのが普通なのですが、世界的な需要を急激に増やすことはなかなかできません。 大きな規模で考えても、景気をよくして工場などの稼働が増え、それで石油の消費量が増えるということぐらいしかありません。 そこで、国際資本家は別の方策を考えました。それこそが「恐怖」で煽るというものです。 『「新型コロナ」「EV脱炭素」「SDGs」の大ウソ』武田邦彦著 ビジネス社刊 20240229  P24