しあわせみんな 三号店

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序章 日本に「サステナビリティ」は要らない

序章 日本に「サステナビリティ」は要らない サステナビリティや石油枯渇殺の裏にある「恐怖ビジネス」 「サステナビリティ」(Sustainability)という言葉をよく聞くようになったのは、ここ10年くらいのことでしょうか。 「持続可能性」などと訳され、具体的な意味としては、「自然環境や人間社会などが長期にわたって機能やシステムを失わずに、良好な状態を維持させようとする考え方」とされているようです。 しかし、サステナビリティという言葉がスローガンとして表れるのは意外に古いのです。 1984年に国際連合(国連)に設置された「環境と開発に関する世界委員会(WCED、World Commission on Environment and Development)」が1987年に公表した報告書「Our Commission Future(我ら共有の未来)」の中で、「Sustainable Development(持続可能な開発)」として初めて登場しました 。 外務省のウェブサイトなど公的なところでは、「将来の世代の欲求を満たしつつ、現在の世代の欲求も満足させるような開発」と解釈されています。 WCEDの報告書の第1章「未来への脅威」には、「酸性雨、熱帯林の破壊、砂漠化、温室効果による気温の上昇、オゾン層の破壊等、人類の生存の基盤である環境の汚染と破壊が地球的規模で進行している。この背後には、過度の焼畑農業による熱帯林破壊に見られるような貧困からくる環境酷使と、富裕に溺れる資源やエネルギーの過剰消費がある」と書かれていました。 今流行りのサステナビリティですが、持続可能な社会を長年続けてきているのが日本という国です。 ですから我々に必要なのは、日本文明の素晴らしさを再発見し、現代に合わせて運営していくこと――――。欧米主体の世界基準に合わせる必要はありません。 これから持続可能な社会を構築してきた日本文明を西洋文明と比較しながら検証していきますが、本題に入る前に、本章では頭の体操としてサステナビリティに関連する多くの“嘘”について論じていきたいと思います。 『かけがえのない国――誇り高き日本文明』 武田邦彦 ((株)MND令和5年発行)より R051219 17