しあわせみんな 三号店

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政府が日本の電機電子産業を潰した

政府が日本の電機電子産業を潰した そんな電機電子産業を潰したのは、日本政府でした。 1980年代半ば、一社団結した仕事ぶりによって世界的にも非常にハイレベルになってきた日本の半導体アメリカの市場を席巻していました。しかし、あまりにも発展しすぎたことで、アメリカの半導体産業を潰しかねないという状況にまでなりました。 この時に、政府と産業界がよく話し合って少し日本が優位に立った時点でセーブしておけばよかったのですが、それ以上を望んだことでアメリカの怒りを買ってしまいます。 アメリカにも自国の産業があり、なかでも半導体は軍事との関係が深いのでアメリ力としては半導体産業をなくすわけにはいきません。 そこで日米半導体交渉というものが行われ、結果としてアメリカからの様々な圧力により、日本の半導体産業は自由な産業活動ができなくなってしまいました。 その交渉から間もなく「スマートフォン」が世に出はじめます。スマホとなるとますます電機と電子の区別がつかなくなります。半導体の需要が高まりつつあった丁度その時にこの日米半導体交渉の結果が出てきたのです。 それによって日本の半導体産業が打撃を受けたところに、急速に伸びてきた韓国が日本の退職した技術者などをどんどん自国に連れていきました。「土日ソウル」などと言われたのですが、土曜日曜はソウルに行ってひと稼ぎしてくるということが当たり前のように行われるようになったのです。 この時に日本の様々な研究や技術が、韓国に流出することになりました。 こうした流れをみると、やはり日本の半導体産業を守ることをしなかった政府の責任を問わずにはいられません。

結局、1990年頃には世界の半導体の約半分を日本が製造していたものが、現在では5%ほどになってしまいました。日本のシェアが非常に小さくなったその間に世界の半導体産業は非常に伸びましたから、その差は大きく、日本の半導体産業はもう大変な衰退となったのです。 そして、半導体の衰退は家電製品や携帯電話、スマホなどにも影響を及ぼし、日本の電機電子産業はほぼ壊滅状態になってしまいました。 松下電器パナソニックと社名を変えてなんとか事業を保ってはいますが、シャープは台湾企業である鴻海(ホンハイ)グループの傘下に、三洋電機パナソニックの子会社となり、富士通ゼネラルは総合家電メーカーからほぼエアコン専門のような会社になってしまいました。 そして、東芝も様々な不祥事を起こしてしまって、もはや日本の電機電子産業ははなばなしい往時の姿は見る影もなくなってしまいました。 海外の圧力から守ってくれない政府の下では、国内企業はやっていけないのです。 『「新型コロナ」「EV脱炭素」「SDGs」の大ウソ』武田邦彦著 ビジネス社刊 20240409  P135