しあわせみんな 三号店

日本人は太古の昔から「しあわせみんな」という素晴らしい知恵をもって生きてきました

「士農工商」は身分制度ではなく分業である

士農工商」は身分制度ではな、分業 江戸時代に言われた「士農工商」は、以前には身分制度と解釈されていましたが、今はもう小学校や中学校の教育現場でもそれは否定されています。では士農工商の本来の意味はどうだったのかというと、これは単に社会の“分業”を表したものだったようです。 侍には刀という武器による力があるのだからそれ以外の力は与えない。お金という力は刀を持たない商人に与える。そして、農業と工業には生産力という力を与える。農業がきちんとしていなければ食料が生産されないので侍も商人も困ることになります。そのため各藩は農業や工業を大切にしていました。 この時に侍がいなければ藩の領地が守れなくなってしまい、農民も職人も仕事ができません。また、商業が盛んになってお金が世間に出回らないことに はみんなが豊かになれません。 つまり、「それぞれの人がそれぞれの役割を果たすことによって社会は成り立つのであって、特定の人間が武力もお金も生産力も持っているという状態にはしない」、という日本人の素晴らしい考えが「士農工商」という言葉には表されているのです。

それがうまくいっていたから、1603年の江戸開幕から1868年の江戸城無血開城までの長きにわたって徳川の世が続いたのです。江戸時代の末期になるとむしろこの士農工商の区分が行きすぎてしまい、武士はそのほとんどが貧乏暮らしになってしまって商人からお金を借りることにもなりました。 農民も職人にしても侍たちに頭を垂れながら、自分たちが農産物や工芸製品をつくらなければ武士も商人も飢えてしまうということをよく知っていました。 そのように見た時に、士農工商というものが日本の伝統的な家庭における妻と夫の関係とよく似ていることがわかるでしょう。士農工商がそれぞれの役割を果たすことで藩政をうまく回していたように、妻と夫もそれぞれの仕事を分担することで日本の家庭はうまく回っていたのです。 『「新型コロナ」「EV脱炭素」「SDGs」の大ウソ』武田邦彦著 ビジネス社刊 20240506 P203