なぜ、頻繁に「大地震」が起こるのか 地震予知というものが極めてあたりまえで、日常的にも震度4とか5ぐらいの小さめの地震であっても携帯電話が地震の緊急警報を受信して警告音が嗚るというように、日常生活と地震予報が一体になっていますが、これはごく最近のことです。 阪神淡路大震災が起こる前までは、大きな被害をもたらす大地震というものの世間的なイメージは「何十年かにいっぺん起きる」というぐらいのものでしたから、まさか毎日のように地震の警報にびくびくしなければならないなどとは考えていませんでした。 ところが阪神淡路大震災で直下型の断層地震が起きてからは、続いて新潟では2004年の新潟県中越地震と2007年の新潟県中越沖地簑、北陸のほうでも2007年に能登半島地震、東北や北海道のほうでも2003年の十勝沖地震をはじめとして規模が大きめの地震が立て続けにいくつも起こりました。 そして、それらの多くはいわゆるプレート型の地震ではなくて、地下の断層がズレて起こる断層型地震でした。 もちろんかなりの被害が出ましたし、またマスコミにおいては通信関係が発達、ヘリコプターによる空撮なども行われるようになったことで、被害がそれまでよりも大きく見えるようにもなりました。 このため世間の多くの人々は、阪神淡路大震災からほとんど毎年のように大地震が起こっているような錯覚にとらわれることになりました。
そして、2011年3月11日に「東日本大震災」が起こります。 この地震は非常に特殊で、プレート型というものがいちばん起こりやすい東北沿岸の少し沖合で起こったわけですが、現在の研究では「3カ所ぐらいのズレが同時、もしくは逐次的に起こって大きなエネルギーを持った地震に発展した」とされています。 発生当初はマグニチュード8.4~8.5と発表されましたが、その後に修正されて9.0のエネルギーを持つ大地震だということがわかりました。 マグニチュード9.0ぐらいのレベルの地震というと、これはもう千年に一度ぐらいの地震であり、やはり三陸沖に おいては西暦869年に起きたと推定される「貞観地震」以来となる非常に大きな地震でした。 津波が押し寄せて次から次へと家屋建物を飲み込んでいって、死者と不明者を合わせて2万人近くの方が被害に遭い、続いて福島の原子力発電所が爆発事故を起こすという、本当に衝撃的な、私の長い人生でも戦争に次ぐ大きな災害となりました。多くの日本人にとっても、この震災によって極めて強い恐怖心が心の中に植えつけられることになったのです。 しかし、ここで問題となるのは「なぜ東海地震が起こらず、東北で地震が起こったか?」ということです。 地震観測網としては、東海地震に関するものがいちばん多かったのですが、もちろん東北の沿岸部にもエネルギーの蓄積を測定する装置はありました。 早期に津波を検出する装置‥‥‥沖合で地震が起きると続いて津波が来ますから、ブイのようなものを海に浮かせておいて陸に津波が届くよりもかなり前に検出するものです。これは東海地方に一番多く、四国沖にもかなりあったのですが、東北地方は地震の可能性は低いだろうということでほんの少ししか設置されていませんでした。 そういう状態で地震が起きたわけです。 その結果、ものすごい被害が出ました。 その後にも断層型地震が全国で次々に起こり、中でも印象的なのは熊本で2回ほど大きな地震が起こり、震度7までいきました。 だいたい日本の家屋は震度6ぐらいまでは大丈夫なように設計されています。ただし家が潰れなくても家の中に背の高い箪笥があったり、さらにその上に重たいものなど乗せているとそれが落下してきて人がケガをしたり亡くなったりするというようなことがあります。 かなり老朽化した家だと、家が潰れないまでもひずんでしまって外に 逃げ出すことができなくなるという問題もあります。 家が潰れてひとまずどこへ行くかというときには避難所もありますが、自家用車の中で家族みんなで過ごすという人もいて、ほとんど身体を動かさないために、それで血管が詰まって血栓でお亡くなりになるという二次的な被害も出てきます。 そうしたことが起きたために、さらに地震に対する関心が高まって、現在のように地震の初動を検知して携帯電話に警報が鳴るというようなシステムまで整備されることになりました。 『フェイクニュースを見破る 武器としての理系思考』武田邦彦 (ビジネス社刊) R060529 P073