十 準備と決断 第九項で述べた、日々に覚悟をきめていかねばならぬ大きな思想の根源は、「葉隠」にとっては武士道において死ぬことであった。 「(略)就中(なかんずく)、武道は今日の事も知らずと思うて、日々夜々に箇条を立てて吟味すべきなり。時の行掛りにて勝負はあるべし。恥をかかぬ仕様は別なり。死ぬ迄なり。その場に叶(かな)はずば打返しなり。これには知恵も業も入らぬなり。曲者といふは勝負を考へず、無二無三に死狂ひするばかりなり。これにて夢覚むるなり 。」(聞書第一 一二一頁) 長い準備があればこそ決断は早い。そして決断の行為そのものは自分で選べる が、時期はかならずしも選ぶことができない。それは向こうからふりかかり、おそってくるのである。そして生きるということは向こうから、あるいは運命から、自分が選ばれてある瞬間のために準備することではあるまいか。「葉隠」は、そのような準備と、そして向こうから運命がおそってきた瞬間における行動を、あらかじめ覚悟し、規制することに重点を置いている。 『葉隠入門』三島由紀夫 (新潮文庫) 20240805 P49