しあわせみんな 三号店

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十二 酒席の心得

十二 酒席の心得 日本人の酒席の乱れは国際的に有名である。体力の差もあろうが、西欧社会では紳士が酒席で乱れて醜態を演ずるということは、許すべからざることとされ、一方ではアルコール中毒患者は世間から敗残者と見なされて、酒びんを片手に持ちながら、アルコール中毒患者ばかりの集まる一角に、亡霊のように蹌踉(そうろう)と歩んでいる姿を見ることができる。 日本では、酒席は人間がはだかになり、弱点を露呈し、どんな恥ずかしいことも、どんなぐちめいたこともあけっびろげに開陳して、しかもあとでは酒の席だということで許されるという不思議な仕組みができている。新宿にパーが何軒あるか知らないが、その膨大な数のバーでサラリーマンたちが、今夜もまた酒を前にして女房の悪口を言い、上役の悪口を言っている。そして酒席の話題は、ことに友だちの間では、男らしくもないぐちゃ、だらしのない打ちあけ話や、そしてあくる朝になれば実際は忘れていないのに、お互いに忘れたという約束事の上に成り立つところの、小さな、卑しい秘密の打ちあけ場所になっている。 つまり、日本における酒席とは、実際は純然たるプライベートな場所ではないにもかかわらず、バプリックな楊所で、人前でありながらプライペートであるという擬制をとるような楊所なのである。人が聞いていても聞かぬふりをし、耳に痛くても痛くないふりをし、酒の上ということですぺてが許される。しかし「葉隠」は、あらゆる酒の席を晴れの場所、すなわち公界(くがい)と呼んでいる。武士はかりにも酒のはいった席では、心を引き締めていましめなければならないと教えている。これはあたかもイギリスのゼントルマンシップと同様である。 「大酒にて後れを取りたる人数多なり。別して残念の事なり。先づ我が丈け分をよく覚え、その上は飲まぬ様にありたきなり。その内にも、時により、酔ひ過す事あり。酒座にては就中(なかんづく)気をぬかさず、不図事出来ても間に合ふ様に了簡これあるぺき事なり。又酒宴は公界ものなり。心得(こころう)べき事なり。」(聞書第一 一二八頁) しかし「葉隠」がこのように言っているのは、これと反対の事例が、いま同様いかに多かったかを証明するものでしかない。 『葉隠入門』三島由紀夫 (新潮文庫)   20240807  P52