しあわせみんな 三号店

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十五 子供の教育

十五 子供の教育 西欧社会における子供の教育は、同じアングロサクソンの中でも、イギリス式とアメリカ式ではっきり二分される。イギリスの伝統的な教育では、子供はおとなの宴席にはべってもいっさいおとなの会話に口出しをしてはならない。また、子供同士の会話でおとなの会話を攪乱してはならない。子供は無言をしいられ、そして、そのことによって社会的な訓練を経、自分が一人前の紳士として発言する機会に備えるのである。 アメリカ的教育では、子供は社会的訓練のためにむしろ積極的に発言することを要求される。おとなは子供の会話を聞いてやり、おとなとともに子供はディスカッシ ョンをし、それによって子供は小さいうちから自分の意見を堂々と述べることを要求される。 この二つの教育のどちらが正しいかは、いまは言うかぎりではない。しかし「葉隠」の教育は次のようであった。 「武士の子供は育て様あるべき事なり。先づ幼稚の時より勇気をすすめ、仮初(かりそめ)にもおどし、だます事などあるまじく候。幼少の時にても臆病気これあるは 一生の疵なり。親々不覚にして、雷嗚の時もおぢ気をつけ、暗がりなどには参らぬ様に仕なし、泣き止ますべきとて、おそろしがる事などを申し聞かせ候は不覚の事なり。又幼少にて強く叱り候へば、入気(いりき)になるなり。又わるぐせ染み人らぬ様にすべし。染み入りてよりは意見しても直らぬなり。物言ひ礼儀など、そろそろと気を付けさせ、欲義など知らざる様に、その外育て様にて、大体の生れつきならば、よくなるべし。又女夫(めをと)仲悪しき者の子は不孝なる由、尤もの事なり。烏獣さへ生れ落ちてより、見馴れ聞き馴るる事に移るものなり。又母親愚にして、父子仲悪しくなる事あり。母親は何のわけもなく子を愛し、父親意見すれば子の贔屓(ひいき)をし、子と一味するゆゑ、その子は父に不和になるなり。女の浅ましき心にて、行末を頼みて、子と一味すると見えたり。」(聞書第一 一三二頁) しかし、「葉隠」の教育法は、意外にもジャン・ジャック・ ルソーの「エミール」の自由で自然な教育の理論に似ているのである。ちなみに宝氷七年(一七一二年)にはじまった「葉隠」が佳境にはいったころ、すなわち一七一二年にルソーは生まれている。 たんなるスパルタ教育ではなく、子供に対して自然への恐怖や、無理やりな叱貞を制御することに重点を置いた。子供は子供の世界においてのびのびと育ち、親のおどかしや叱りがなければ臆病になることもなく、内気になることもないというのが「葉隠」のごく自然な育児法である。と同時に、現代でもまったく通用する事例が後段で示されているのは興味が深い。いまでも、母親はわけもなく子を愛し、子供といっしょになって父親に対抗し、その子が父と不和になる例はいたるところで見られるとおりである。ことに現代、父親の権威の失墜にともなって、ますます母親っ子がふえ、アメリカにいわゆるドミネーティング・マザーのクイプが激増している。父親は疎外され、父親と息子との間 における武士的な厳しい伝承の教育は、いまや伝承すべき何ものもないままに没却されてしまい、子供にとってすら父親は、ただ月給を運ぶ機械にすぎなくなり、なんら梢神的なつながりの持たれないものになってしまった。いま男性の女性化が非難されていると同時に、父親の弱体化はこれと符節を合わして進行していると思わねばならない。 『葉隠入門』三島由紀夫 (新潮文庫)   20240810  P57