しあわせみんな 三号店

日本人は太古の昔から「しあわせみんな」という素晴らしい知恵をもって生きてきました

●人間から運動能力や感性を奪っていく「廃人工学」

●人間から運動能力や感性を奪っていく「廃人工学」 命の次に大切なのはそれを支える自分の体の健康であろう。その一つの解決策は食糧自給率を高くして国内で採れる食料を日本人が食べられるようにするということである。そして、もう一つは体をできるだけ動かすことである。 どんなに科学が発達しても人間の体は動物である。動かさないと鈍っていく。筋肉が衰えるだけではなく、細菌にも弱くなる。 しかし、現代の文明は私たちから運動能力を奪う。 例えば、アクチュエーターとモーターの組み合わせで腕の力を使わなくても生活できるようになってきた。自動車の窓がボタン一つで開くようになり、さらに最近ではドアにもモーターが付いていて、少し触れば自動的に開くという車も珍しくはなくなった。 このような生活では人間の腕の筋肉は不要になる。エレベーターやエスカレーターが発達し、階段を登る機会が少なくなった。本来は足が弱い人のために設置されているのだが、多くの人は階段を利用せずにエスカレーターやエレベーターを使う。そして、次第に足の筋肉も奪われていく。 人間は動物だから使わなければ機能が後退し、リストラされていく。筋肉が細くなり、骨も必要ないので尿からカルシウムが逃げる。現代の自動車やエスカレーターは人間の移動を容易にするが、同時に人間から運動を奪い、健康体ではなくしていく。 これを私は「廃人工学」と呼んでいる。 最近はパソコンやインターネットが発達してきた。それ自体は生活を便利にし、膨大な情報が得られるようになる。しかし、漢字は書かずとも全部パソコンが変換してくれるので漢字の書き方を正確に覚える必要はないし、計算もしてくれるので 2ケタのかけ算の暗算などは面倒になってくる。 このような状態が続くと人間の頭脳は活動が低下するので、感動したり深く考える喜びが徐々に得られなくなっていく。 実際、音楽を聞いた時に深く感激したり涙を流したりする場面がめっきり減ったように思う。コンサートの拍手も実に形式的である。寿命が長くなり、人は数量的には多くの時間を生きることができるようになった。しかし、その実、ノルマに追われるだけで中身がない時間を過ごすことになりつつある。 『環境問題はなぜウソがまかり通るのか武田邦彦 洋泉社刊 2007年 20230929  211