しあわせみんな 三号店

日本人は太古の昔から「しあわせみんな」という素晴らしい知恵をもって生きてきました

ご先祖様も神様 あなたも私も神様です。

ご先祖様も神様 あなたも私も神様です。 そして日本人がもうひとつ神様として感じているのが「祖先」です。祖先も自然と同じく自分たちをつくっているものです。 父親と母親の2人から自分ができていて、その父親と母親もそれぞれの両親からできているから4人になる。さらにひいおじいさん、ひいおばあさんは8人となって、そうやってさかのぼっていくとすぐにご先祖さまの数は千人とか1万人とかになるわけですが、その千人なり1万人なりというのは代をさかのぼるにつれてどんどん重なっていく‥‥つまり同じ祖先から枝分かれして 、今に 至っているということにもなります。 そうすると仮に100人の集落であれば6代ぐらい前、期間にして150年ぐらいさかのぼっていくと、いま村に住んでいる100人というのは全員が親戚だということになります。つまり100年150年とさかのぼって考えた時に、村の人たち全員が同じルーツの祖先にたどりつくということです。 この概念は非常に重要で、たとえ自分に子供がいなくても他人の子供を見れば「この子は確かに他人の子であるけれども、過去にさかのぼれば祖先は同じ。親戚のようなものだ」と感じます。ですから、日本人にとって、子供はみな縁の深い存在だということになるのです。 このようなことから日本人には、「自然と祖先が神様」ということが概念としてあるのです。そして宗教という概念がないので、宗教の自由という概念もなく、どの神様が自分の神様なのだという考え方もありません。 仏教が伝来しても「お釈迦様というのは偉い人なのだな」と受け入れます。同様にイエス・キリストムハンマドも日本においては特別な神様とされることはなく単に「偉い人 」となるのです。 そして偉い人という意味では、日露戦争で活躍した陸軍の乃木希典大将や、海軍の東郷平八郎大将、明治天皇なども、みんな亡くなった後には神様として扱われました。 日本は神様というものを自然と一体のものと考えますから、その自然の一部である人間が容易に神様になるのです。 乃木将軍がお亡くなりになれば乃木神社ができて神様になりますし、日本の国体護持や戦争に貢献した人たちが亡くなれば靖国神社で神様になって祀られます。 靖国神社には日本人だけでなく日本に貢献した外国人の神様もいて、外国人とか日本人とかそういったケチなことは言いません。みんな神様なのです。

そのように日本は非常に同化能力が強く、今では社会システムとして日本人と外国人を区別していますが、もともとの日本人は朝鮮半島から渡ってきた人も、自分たちの祖先が朝鮮へ行っても、あまり 区別をしませんでした。 日本列島に住んでいる人は天皇陛下以外は全部同じであり、奴隷もいなければ上流階級の人もいない。宗教の区別もな く、違う宗教の人もいるけれど、それはそれでいいという考え方をしてきたのです。 だから今でも10月末にはハロウィンという北欧の神様を祀る行事を楽しみ、12月になるとクリスマスをお祝いし、それから一週間も経てば今度は初詣に行きますからこれは神道です。そうして初詣の帰りに墓参りもすれば今度は仏教徒にもなります。 昔はどの家庭も仏壇と神棚のどちらもあるのが普通でしたし、今も結婚式を挙げる時に伝統的な神前式にするのか、それともキリ スト教式に神父の前で行うかをそれぞれカップルの好みによって選んだりもしています。 このような日本人の行動様式は、他の宗教を信じる人からするとまったく理解できないことです。 では初詣の時に一家の健康とか商売繁盛を祈る人の祈り方が一つの神様を信じていないからといって不真面目なのかというとそういうことではなく、ものす ごく真剣なのです。 それはおかしいではないかと言われるかもしれませんがそうではありません。日本人はその歴史のなかで、学校で習った 一神教とか多神教ではない、まったく違う概念での宗教をつくってきました。そのため仏教は非常になめらかに、順調に日本社会に吸収されました。 空海最澄を保護した桓武天皇のように、「神の子」とされる天皇が仏教を信仰するというのは何か矛盾しているようですが、しかしそうしたことも受け入れるのが日本式の宗教観なのです。 『「新型コロナ」「EV脱炭素」「SDGs」の大ウソ』武田邦彦著 ビジネス社刊 20240509 P212