危機に瀕すると強くなる しかし、現在の日本の大人ははたして、そのように子供を叱るほど自分自身がしっかりしているかどうか怪しいものです。著者の大学から山手線の田町の駅まで行くのに信号が一つあります。 東京の中心に近いこともあってかなりの交通量があります。その交差点の角には芝浦小学校、そして東京工業大学付属工業高等学校が並んでいます。 著者はいつもその信号をわたって帰路につくのですが、最近では車が来ないと判ると、ほとんどの大人が信号を見ないで横断します。その後を「信号を守りなさい」と先生から言われている生徒がおそるおそる大人の後をついて、赤信号を渡っているのを目幣するのです。あるところで規則を破り、あるところで成人式の若者の態度を非難する、こうした「使い分け」は子供には判りにくいでしょう。 ところで、ルソーの言っている「我慢」が必要だという正体は何でしょうか? 何で、子供に欲しがるものを与えると、最後には星を求めてくるということは何を意味しているのでしょうか? この問いは、わたしたちの体とこころの奥に潜んでいるものを取りださなければなりませんので、再び動物に登場してもらいます。 ゾウリムシという簡単な構造を持つ原生動物がいます。楕円形で体の周りにひげのような鞭毛があり、餌を探して泳ぐ原生動物です。このゾウリムシも自由食より制限食の方が平均寿命で二倍、一番長く生きるものは三倍から四倍の寿命であることが判っています。 ゾウリムシは単性生殖といってオスメスの区別もなく、繁殖をするときには自分自身が分裂して複製を作り増えていきます。その点では「ばい菌」の繁殖と似たところもあります。 ところがゾウリムシに餌をあまりやらないようにすると、体の内部で変化が起こり、「性」を持つようになります。そして、いよいよ生存が危なくなるとオスとメスに分化し生殖活動を行って新しいゾウリムシを作るのです。 このことは、「生物が生命と子孫を守ることに危機を感じたときには、ある種の力を発揮する」ということを示していると考えられています。多くの生物はオスとメスの両性を持ちますが、それは生存競争を勝ち抜くのに武器になるからです。もし、性の区別がなく、自分が自分と全く同じ子供を作るとすると、その子供は自分より能力が高くはなりません。「トンビが鷹を生む」というようなことはあり得ないのです。ところが性が二つに分かれていて、オスとメスがそれぞれの遺伝子を半分ずつ出して子供を作る、とその子供は両親の良いところだけを受け継ぐこともできますし、場合によっては両親のなかにあっても隠れていた才能が芽吹くこともあります。 このようなことは人間のように複雑で高度な動物でも起こるのですから、小さな原始的な動物ではより激しく起こっても不思議ではありません。ゾウリムシでも危機に瀕してその作戦を採用しているのです。 生物はかなり高等なものでも、平穏無事のときにはそれなりに「サボる」ことを知っているようです。例えば、サルの集団では、その集団のサルの全部に行き渡らない程度の餌を早朝に与えると、サルは餌にありつくために一斉に朝早く起きてきます。反対に、サルが食べきれないほどの餌を与えると、すぐ寝坊して一時頃、ノソノソと起きてくるようになります。生物はサボることができると判ればサボるというのが正常な姿のようです。 余談ですが、大学生は朝の講義に出席を採らないと出席率が悪くなりますが、出席を採り始めると判るとその情報は一斉に学生に流れ、教室はにぎやかになります。学生は実に単刀直入でわかりやすいと言えますが、先生にとっては「学生もなんといっても動物だな」と思う瞬間でもあります。ところで、栄養を制限すると平均寿命がのびたり、ボケが防止されたり、また免疫力の低下が緩やかだったりするのは、生物が危機を感じて、「のんびりしていたらダメだ。体の機能を総動員して危機に対して準備をしておかなければ」と考える一種の危機管理と考えられます。体は自動的に反応して、抵抗力や活動力を高め、それが結果的には平均寿命を延ばすこととして現れるのです。 著者はあるとき動物の体のなかにできる「ガン壊死因子」の研究をしたことがあります。ガン壊死因子とは生物の体のなかで合成される制ガン剤で、その役割は自分自身の体にできるガンを自分自身で殺すことです。このガン壊死因子は動物がガンにかかると血中の濃度が高くなる特徴があります。つまり、生物は自分の体のなかに発生したガンや病原菌を自ら駆除する機能が備わっていますが、普段はあまりその機能を発揮せず、いざ危機になると武器となる化学物質の濃度を高めて対抗するのです。常に「いざ鎌倉」というときのための準備だけをしておいて、その時がくると「火事場のバカ力」を発揮する方式です。 『日本社会を不幸にするエコロジー幻想』 武田邦彦著 (青春出版社 平成13(2001)年刊) 20231111 133