◎食べ物を「実感」できた時代 狩猟時代ほど昔ではなくても、著者の子供の頃は食べものを「実感」することができました。茶碗のなかにあたたかいご飯がよそってあります。のぞき込むとご飯粒が見えます。そして、その白く小さく半透明のご飯粒に、農家の人の姿が映ったものです。 腰を曲げて田植えをする姿、夏の灼熱の太陽の下での草取り、滴る汗をふきとる緻だらけの手と黒光りした額、そして秋には収穫の喜びに顔がほころんでいる一家、さらに冬には囲炉裏の周りで藁(わら)をなう老人‥‥そんな農家の四季が茶碗の中のご飯粒に見えるのです。 そして、茶碗のなかのご飯粒をすこしでも残そうものなら「お米を作った人に申し訳がないでしょ!全部、食べなさい!」と叱られて、最後の一粒までお箸で拾ったものです。 魚でも野菜でもそうでした。台所に運ばれた魚は、頭を切りとり、内臓を取りだし、何枚かにおろして初めて食べることができました。魚をさばくあいだには、充血して真っ赤になった目ににらまれたり、ウロコで手をケガすることもありました。 「日の輝く春の朝、大人は男も女も、子供らまで加わって海藻を採集し、砂浜に広げて干す。漁師のむすめたちが脛(すね)を丸出しにして浜辺を歩き回る。藍色の木綿の布きれをあねさんかぶりにし、背中に籠をしよっている。子供らは泡立つ白波に立ち向かったりして戯れ、幼児は砂の上で楽しそうにころげ回る。(中略)婦人たちは海草の山を選別したり、ぬれねずみになったご亭主に時々、ご馳走を差し入れる。あたたかいお茶とご飯。そしておかずは細かにむしった魚ある。こうした光景すべてが陽気で美しい。だれもかれも心浮き浮きとうれしそうだ」。 (渡辺京二「逝きし世の面影」。幕末の日本を描写した女流旅行家イライザ・シッドモアの記録から)自分が田畑を耕したこともなく、漁船に乗ったことがなくても、生活のまわりには自然がありましたから、魚をとってくれる人たちの生活を頭に浮かべることが容易だったのです。そして、目の前の食料が自然からとれたものであること、それが、生物のかけがえのない命をいただいていることを確実に感じることができました。 もちろん、一見、美しく楽しく見える、このような生活には苦しみはありました。恒常的に不足する食糧、病気、貧困、子沢山などがつきまとっていましたし、この本に引用した昔の情景のなかには、美しさや躍動感とともに、登場人物の役割分担がきびしく感じられます。 昔というものが、美しく、それと同時に哀しさを持っていたことをうかがわせるのです。現代社会は冷凍食品に代表されるような、架空で実感のないものに取り囲まれています。食事の準備、頭や内臓をさばかなければならない魚、とりたての野菜すべてやっかいなものです。 これらはいずれも「効率」を第一にする社会では嫌われます。かくして、食料は四角くきざまれ、ときに「チン」するだけで食べられるようになってきました。 そのなかで人間はどのようにして「実物」を感じることができるのでしょうか?一度も見たこともなく、一度も経験したことがないもの、形も味も全くちがうものを人間は想像することができません。架空のなかで食事をし、生活をするようになります。 すでに都会の子供の大半が、架空の食事をしています。小さい頃、少しでも自然の恵み、自然からの食事を経験していれば、それが原体験となって、こころに残りますが、一度も稲を刈りとったこともなく、海から魚を釣ったこともなく、両親が、豪快に生きものを調理する姿を見たこともないその子供は、自分の目の前のお皿にのっている「物体」が命あるものであり、自分が生きるためには命をいただかなければならないこと、それをとってくれた人の額の汗を感じることはできません。 『日本社会を不幸にするエコロジー幻想』 武田邦彦著 (青春出版社 平成13(2001)年刊) 20231011 29