しあわせみんな 三号店

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第2章 「環境にやさしい生活」の科学的な間違い 「田舎暮し」が環境を悪化させるこれだけの証拠

第2章 「環境にやさしい生活」の科学的な間違い 「田舎暮し」が環境を悪化させるこれだけの証拠 環境が架空になりつつあるなかで、本来は善意で行われている「環境運動」もそのあるべき姿を見失い、思わぬ方向に進みはじめています。 この章では何とかして「環境」を改善しようと願って行われている運動のうち、代表的な例として、森の生活、太陽電池、省エネ商品の購入、そして洗剤問題を取り上げて、このような環境改善の努力は本当に意味のあるものか、何が本物で、何が無意味なものかについて整理をしました。 空中で寝る東京の生活は幻想の世界のようにも見えます。 文字通り「足が地に着いていない」このような生活から離れ、静かで自然豊かな地方に住み、できれば森のなかで生活することを夢みます。そこでは、昔のように庭に家畜を飼い、朝は新鮮なニワトリの卵を取り上げて食卓をかこみ、自然の息吹を感じながら生きることができます。すでに、そういう生活を実践している人たちもいます。 このような「森の生活」や、そこまではいかなくても都会を離れて、地方で生活をしたいと願っている人は多いのですが、それは「環境に良いこと」なのでしょうか? ヘンリー・ソローという作家が一五〇年ほど前に『森の生活』という本を書いています。アメリカの人ですが、単に文明を逃れて森に逃避したというのではなく、本当の人生とはどういうものか、森のなかで「実在」という難しい概念を追求した人です。彼は、こう考えました。 人間は自分が何を体験し、何を感じたかが、人間の思考の最も深いところにある。ひんばんに旅行したり、都会の喧騒の中に身をおくことではない、じっくりとひとところに居を構えて、そこで自然とともに「実在」をとらえることだ。もちろん、今から一五〇年ほども前のことで、日本ではまだ江戸時代。社会は今よりずっと素朴で、科学はほとんど発達していなかった頃のことです。ダーウィンの進化論もでていません。だから、人間は神に似せられて作られた特別の動物と信じられていましたし、原子力も知らなかったので、太陽がなぜ光っているのかと聞かれても答えられない時代でした。 そのような時代でも、すでに人間の社会がしだいに現実から離れ始めたことを、敏感な人は感じていたのでしょう。ソローはマサチューセッツ州コンフォードの南方に小屋を建てて生活を始めました。そこで、彼は自然と動物とともに生き、そしてその体験に基づいて「森の生活」を書いたのです。 現代の日本にも同じような考えの人がおられ、森の生活や地方での人生を楽しんでいます。確かに、都会は雑然たるビルに囲まれ、ぎゅうぎゅう詰めの電車に揺られ、間違って女性の体に手が触れることでもあれば、たちまち新聞沙汰になります。街角には子供の姿はなく、地面はコンクリートアスファルトで覆われて、まるで荒野のようにも感じられます。 感受性の強い人がこのような環境に耐えられるとも思えません。都会の喧騒に疲れ、また真実の人生を求めて森の生活にあこがれ、あるいは定年後に地方に住みたいと思っている人が多いのも当然です。森のなかに入り込むほどの生活はイヤでも、せめて自然に恵まれた地方でのんびりと余生を送りたいと願い、実際にも地方にはそういう希望を持つ人のために特別な施設や環境を提供しているところもあるくらいです。 まず「自然のなかの生活」を実現している国、フィンランドの生活を簡単に見ることにします。著者は昨年、フィンランド大使館の人たちと環境の合同シンポジウムをしましたので、そのときの話題を中心にしました。 ヨーロッパ北方のフィンランドは森と湖に恵まれた風光明媚な国で、国民の多くが森に住み、森のなかで一生を送ると言われます。国土面積は日本とほぼ同じですが、人口は五〇〇万人強。日本の二〇分の一です。この程度の人口密度はどういう感じでしょうか? 長さが一キロメートル四方の土地を考えますと、フィンランドではそのなかに一五人で約四軒が住んでいる計算になりますが、日本では同じ面積に、一〇〇軒がすし詰めです。また、日本の江戸時代の人口は約三〇〇〇万人ですから、その四分の一。 そのような豊かな国土のなかで生活をしているフィンランドの人は、自然のなかに生き、自然とともに暮らしています。自然とともに生きているのですから自然を破壊しないように注意するのも当然です。特に、湖のほとりに家を建てるときなどは、下水で湖が汚れないように湖から離して建てるように気を配っています。 また、必要な木は多くの場合、自分の家で切り、大事に皮を剥ぎます。皮を剥ぐときに機械を使うより手で慎重に剥ぐと実に良い素材が得られるといいます。そして、「手で剥いだ木の皮」も大切な資源となり、木くずも燃料や加工品に徹底的に使われるのです。 生活に使うものの多くが自分の周りの自然から採れます。落ち着いた家具、食卓にはフィンランドのパンと赤ワイン、すべて生活とゆったりと流れる時間のなかで進みます。そして、生活そのものが自然のなかにしっかりと根づいているのです。 森を大切にする一方では、植林をし、木材を積極的に活用しています。「森を守る運動」と称して森の木を切らないことはかえって自然との共存を破るという意識なのです。 そんな風土のなかで、フィンランドに古く伝わる「カンテレ」という楽器があります。爪ではじく弦楽器で、形はハープに似ていますが、音色は日本のお琴にそっくりです。合同シンポジウムではカンテレの派奏がありました。そして大使館の人たちに、フィンランドの黒いパンとワインをご馳走になり、その日は幸福なタベを過ごし、カンテレのCDを買ってマンションに帰りました。 著者は「愛国的持続性社会論」などを唱え日本を大切にすることを主張していますが、それでも「ああ、フィンランドはいいな……わたしもこんなゴミゴミした日本で一生を終えたくない」としみじみと思った日でもありました。 ところで、日本人が森の生活をするには、いろいろな準備がいります。 まず、溢れるほどの工業製品に囲まれている生活のパターンを変えなければなりません。ゴミの問題にしても、ヨーロッパを学ぶなら、まずゴミの量を半分にしなければなりません。日本よりずっと先進国のイギリスですらゴミは半分です。 『日本社会を不幸にするエコロジー幻想』 武田邦彦著 (青春出版社 平成13(2001)年刊) 20231019  56