しあわせみんな 三号店

日本人は太古の昔から「しあわせみんな」という素晴らしい知恵をもって生きてきました

「個別の正しさ」に基づく「増産の原理」

「個別の正しさ」に基づく「増産の原理」 この「個別の正しさ」に基づく「増産の原理」は日本の産業界全体をおおっています。この原理から逃れられる会社の社長さんがいたら、その人こそ、日本人のことを本当に考え、日本の将来を語れる指導者と言えるでしょう。多くの社長さんは、なんとかして環境にも貢献したい、それでも会社が潰れたら従業員や株主に申し訳ない、どうしようもないという狭間にいて、苦しんでいるのです。国民はそのとばっちりを受けて毎年、お酒を余計飲むようになります。 お酒は必ずしも体に悪いわけではありません。アルコールを飲めば気分が陽気になるし、血行も良くなりますし「酒は百薬の長」と言われるくらいですから健康に良いとも言えます。全くお酒を飲まない人を基準にすると、一日一合(約一八〇CCのお酒(ビールなら一本弱)を飲む人の死亡確率は 〇.八七とお酒を飲まない人より低くなっています。つまりお酒は健康に良く、飲むことで寿命が長くなるようです。 でも、「過ぎたるは及ばざるがごとし」で、二合以上飲むと死亡確率が高くなり、一日四合も飲む人は飲まない人に比べて三割も死ぬ確率が高くなるという結果が得られています。また、適量の一合飲む人と四合以上飲む人では実に五割も死亡確率が変わるのですから、お互いに注意しましょう。 一方、もし日本の酒造メーカーが計画通りアルコールを年率四パーセントで増産することに成功したとします。そうすると酒造会社は業績が安定して潰れませんが、そのお酒を飲むのは口本人ですからわたしたちは一八年で二倍のアルコールを摂取しなければなりません。また、会社は十年で潰れてよいというわけにもいきませんので、会社が三〇年間安定であるとすると、わたしたちは現在の三倍以上のアルコールを飲むことになり、会社が潰れなければこちらが潰れると、いうことになります。この関係を(下の図)一四三頁に示しました。

人間の体は限界がありますが、企業は限りない成長を求めます。それはやがて限界点を越えることになります。限界点を越えると、欲望としてはお酒が飲みたいのですが、生物としての体は、アルコールを増やしてもらうのは迷惑になっています。それでも、会社は日本人の肝臓の強さによって原理原則が変わるものではありませんから、相変わらず一年に四パーセントずつ販売量を増やし、一八年に二倍のお酒を造ることを計画していくのです。 個別の会社の発展は「個別の正しさ」ですが、日本全体で酒造会社がもつ責任は「お酒で国民を肝臓病にしない」ということです。酒造会社の組合や連合会などの全体のための組織が全体としての正しさに向かって動くことを望みます。 製造と消費のこの矛盾した関係をバートランド・ラッセルは近代社会と道徳の本質的なものとしてとらえ、次のように言っています。 「ある時点に、ある数の人間がピンの製造に従事しているとしよう。彼らは世界の人間が必要とするだけのピンを(たとえば)一日八時間の労働でつくっているとする。同じ数の人間が以前の二倍のピンをつくることのできるような発明がなされたとする。しかし、世界は二倍の数のピンを必要としない。ピンはすでに非常に安いので、より安い値段でそれ以上購入されることはほとんどないであろう。賢明な世界ではピンの製造に携わる人がすべて八時間のかわりに四時間の作業をするようになり、他のすべては以前のとおりに進むであろう。しかし現実の世界ではこれは不道徳的であると考えられるであろう。彼らは依然として八時間働き、あまりにも多くのビンがつくられ、幾人かの雇用主は破産し、以前ビンの製造に従事していた人の半数は失業してしまう。」(Bertrand Russell, In Praise of Idleness and Other Essays (London: Allen and Unwin, 1935)) もともとみんなが欲しくないか、あるいは欲しいものに気がついてないものを作り、それを全カで売り込む方法が知られています。これを「需要を喚起する」「内需を拡大する」あるいは「需要を創生する」と表現します。 このうちでも特に「需要を創生する」というのは「ものの時代」の典型的な道徳です。この言葉は、もともと社会が必要と考えていなかったものを創造し、それを製造して売り込むというものです。 『日本社会を不幸にするエコロジー幻想』 武田邦彦著 (青春出版社 平成13(2001)年刊) 20231114   142