しあわせみんな 三号店

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世界で唯一無二 最初の「民衆国家」

世界で唯一無二 最初の「民衆国家」 たとえばお隣の中国ならば、秦、漢、隋、唐、宋、元、明、清と王朝が代わり、そのたびに、最高権威者を「天子」と呼んできました。ところがその天子が殺されると一族の墓が暴かれ、そして新しい国になったわけです。 ですから、よく「中国四千年の歴史」などと言いますが、実際には中国という一つの国が長く続いたわけではなく、支那という地域に、秦王朝漢王朝漢王朝は、前漢後漢に分かれていますが)、隋王朝唐王朝宋王朝元王朝明王朝清王朝と王朝が交替していったのです。 元王朝清王朝支那民族の王朝ですらなく、元=モンゴル人、清=満洲人がやってきた占領王朝でした。支那には中心がありませんから、そうした他所から来た力のある人間がこの地を国としてまとめることができたのです。 ヨーロッバも民王国家という概念が明確にできたのは、ナボレオン時代の前後だと言われています。ナボレオンの軍隊が国民国家の軍隊であるということになったことで民主国家が形づくられたのです。 それまでは、たとえばハプスブルク家にはハプスブルク家の傭兵がいて、王の権威を裏付けてきました。ハプスブルク家オーストリアやスペインなど複数の地域を支配していましたが、国という概念があったわけではなく「王様の領地」が存在していたのであって、それを現代の視点から国家になぞらえて「王国」などと呼んでいるのです。 そうしたものと比べてみれば、日本が極めて特殊だったということがよくわかります。日本は2千年間、天皇とともに民がいた。言い換えれば、日本は2千年の昔から、天皇の支配する国家ではなく、民衆国家だったのです。 私たち日本人は国家の一員であることを当たり前のことのように思っていますが、それが古代からずっと続いてきたというのは世界的には唯一無二なのです。

そのことが非常にはっきり出た例としては、日清戦争の旅順戦が挙げられます。この戦では、日清両国の兵隊の意識がまったく違いました。 旅順で清軍と日本軍の陸軍同士が相対して、さあこれから一戦を交えるぞとなった時、日本の兵隊は「日本国を代表して妻子を守るために来た」という覚悟でしたが、清国の兵隊は、清という国家はあったものの、それが永遠のものではなくそのうちに滅びるものだと思っていたのでそこまでの覚悟はなかったのです。 実際、日清戦争のすぐ後に清という国は亡びました。そうなると「清国の軍隊」というのはなくなるのですから、そんな あやふやなもののために命を懸けて戦おうという気持ちにはなれません。 『「新型コロナ」「EV脱炭素」「SDGs」の大ウソ』武田邦彦著 ビジネス社刊 20240504 P198