しあわせみんな 三号店

日本人は太古の昔から「しあわせみんな」という素晴らしい知恵をもって生きてきました

“効率”が環境を破壊する

“効率”が環境を破壊する 人間、そして生物は、もともと、どのようにできているか、章を終わるにあたって、二〇世紀の社会、効率を第一にする社会が、どのように環境に影響を与え、わたしたちの体にどのような攻撃をしてくるのかを「お酒の生産」と「飲酒癖」を中心として整理をしたいと思います。 この節で説明したいことは、お酒の販売競争のことや経済活動ではありません。人間の社会は「発展」「成長」そして「競争」をもとにして組み立てられています。それに対して自然は「進化」「持続」そして「共存」で成立しています。つまり、人工的な社会環境と自然の環境を形作っているものの違いを明らかにすることです。 二〇〇〇年のある日の新聞にビール会社の決算が発表されました。それによるとそのビール会社の年初の計画では、アルコールの販売撮を前年度比七パーセント増に設定してあったのですが、現実には販売量がそれほど伸びず、二パーセント程度になったこと、それによって約 一〇〇億円ほどの赤字になったことが報じられていました。 もともと製造会社はその会社の持つ技術や伝統をもとにして、製品を作り、その製品に適正な利益をのせて販売します。「適正は利益」というのは、社会に対してその会社が貢献している分だけいただく、という意味です。個人でも苦労して仕事をしてもらったときにはそれなりの謝礼が必要で、それと同じと考えたらよいでしょう。そして、それによって会社は収益をあげ次の仕事の資金にします。 ところが、現代の会社のシステムでは、毎年、同じ金額を売り上げていては赤字になるので、「売上高」を増加させなければならないのです。例にあげたビール会社が去年の販売量に対して七パーセントも多く売ろうとするのがその例です。 どうしてこのような変なことになるのでしょうか? 日本ではメーカー同士が激しい技術革新をしています。去年より今年、今年より来年というふうに毎年、新製品を開発し、少しでも安く効率的に生産する方法を開発します。さらに作った製品の移動・管理の方法や販売ルートも毎年、改善されていきます。このことは消費者にとってはとても良いことで、少しでも安く良いものを買うことができます。 しかし、会社にとっては辛いことになります。製造したり販売したりするものは少しずつ安くなりますが、一方では従業員は毎年一歳ずつ歳をとりますし、生活水準も向上していきますので、給与は高くなっていきます。しかも、日本のような終身雇用制度の場合には解雇も自由にはできません。 もし、製造方法が改善されて、去年は一〇人でやっていたものを今年は八人でできるようになっても二人を解雇することはできません。売上高を維持するには二割余計に作って売ることになります。まして日本にビール会社は数社あり、激しい競争を展開しています。このような販売競争のなかで販売価格を高くすることができず、もし、値段が一割も下 がりますと、また製品を一割多く売らなければなりません。 このように、どんなに経営力のある社長がいても、この原則の前ではほとんど無力。ただ販売量の増加に邁進するしかないのです。 例にあげたビール会社の場合でも「おいしいビールを作ってお客さんに喜んでもらう」ということだけでは会社が持たず、毎年七パーセントも販売鼠を増大させていかなければならないということになります。この事情は他のビール会社やお酒を扱っているメーカー・販売会社も同じですから、結局、日本全体の酒類の生産凪は増大する結果を招きます。日本人は常に「アルコールをもっと飲め」というプレッシャーのなかで生活をすることになるのです。 実際には、販売量が落ちる会社もあって、日本の純アルコールの摂取鍼は毎年、おおよそ四パーセント増えています。毎年、四パーセントの増加ということは、一八年に二倍という量です。 つまり、一八年前と比べるとお酒を二倍飲んでいることになります。 平均的な飲酒の量が増えると、大量にお酒を飲む人も増えて来ます。それが日本人の健康や社会に良いかどうかという「全体としての正しさ」は問題にされません。お酒の会社が個別に生き残れるかだけが問題になります。その点で「個別の正しさ」が強調されているのです。 『日本社会を不幸にするエコロジー幻想』 武田邦彦著 (青春出版社 平成13(2001)年刊) 20231113   140