しあわせみんな 三号店

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生きるために時間を使う、それで人生はかなり長くなるはず

生きるために時間を使う、それで人生はかなり長くなるはず 最後に、ものを買うために 生きるのではなく、生きるためにものを買う。時間を使うために生きるのではなく、生きるために時間を使う。それで人生はかなり長くなるはずです。 さらに、もう一つ、著者が試みている、時間を増やす秘術があります。 それは、一つのことを素早くやることです。「ゆっくりした生活をする」ということと、「一つのことを素早くやる」ということは一見、矛盾しているように見えますが、そうではありません。その説明のために少し準備をします。 アインシュタインは、光のように速いものは時間がゆっくり進むこともあると言ってみんなを驚かせました。しかし、それは相対性原理が支配するような特別な世界であり、わたしたちが住んでいるような平凡な世界では時間は等しく過ぎていくと考えられています。体の丈夫な人や弱い人、美人やそうでない人がいる世の中、お金はさらに不平等です。そのなかで「時間」だけは平等と信じられていました。 それがはっきりと違う、時間は誰でも平等ではない、ということをわたしたちの目に見せてくれたのが、円谷英二監督です。ヒット作品の名前は『ゴジラ』。 円谷監督はいわゆる特撮映画の名手で、巨大な恐竜が東京の町をのっしのっしと歩き、市民を恐怖のどん底にたたき込み、同時にビキニ環礁の核爆弾実験の恐怖と組み合わせた『ゴジラ』は見事な作品でした。それでも、この作品は単に話の筋や時代性が受け入れられただけではありません。巨大なゴジラの動きとその周辺の小さな人間との対比、その映像が見事だったことも見逃せないのです。『ゴジラ』のヒットを受けてその後続々と新しい恐竜が創造され、怪獣ブームを創り出すとともに「特撮映画」も盛んになりました。そのなかには戦争を扱ったものも多く、少年だったわたしは悠然と太平洋を航行する戦艦大和にたまらない魅力を感じたものです。 特撮の技術は高速度撮影カメラなど多くの要素がありますが、そのなかで「大きいものはゆっくり動かす」という新しい考えが取り入れられたことが特筆されます。 最初、実物とそっくりの戦艦大和の模型を作り、それを太平洋に擬した大きなプールの中に浮かべて実物そっくりに見える画面を撮影していたのですが、全然、本物に見えませんでした。どうしても戦艦大和が模型に見え、プールのなかに浮かんでいるのが判ってしまうのです。ピチャピチャと小さく波立つ水面、「模型のように」ふわふわと浮かぶ戦艦大和。全然、重量感というものを感じられない。 たしかに、わたしたちは多くのものをテレビで見ますが、テレビ 画面のなかなので、それが実際にどの程度の大きさか全く判らないはずです。それでも、何となく大きさが判ります。ペンシル型の小さなロケットは点火と同時にピューツと飛び上がって大空に消えていきますが、アポロ宇宙船を載せた巨大ロケットは点火してもゆっくり上昇し、まさに 重々しく、重量感があります。テレビ画面にわざわざ寸法を書き入れなくてもおおよその大きさが判るということは、逆に言えば、小さなロケットを大きなロケットに見せかけることは工夫がいるということを示しています。 それは「大きさと動きの関係」にあります。大きなものはゆっくり動き、同じ動作でもそれにかかる時間が違うのです。現実の戦艦大和と模型では、例えば舳先(へさき)が揺れるときに戦艦大和なら舳先が上がって下がるのに時間がかかりますが、模型ならあっという間に舳先は上がって下がるので、模型の戦艦大和が軽々しく見えるというわけです。 そこで、模型の戦艦大和を撮るときには高速度カメラを使って、コマ数を増やし、撮影した後に現実の戦艦大和の動く時間に合わせてゆっくりとカメラを回すと、模型の戦艦大和は悠然と動くことになります。一方、人間の撮影は普通のカメラで行い、それはそのまま再生するので、人間は小さく、戦艦大和は大きく見え、わたしたちは非現実の世界に遊ぶことができます。ゴジラのときも同じ。 このことは、ネズミとゾウの動きを考えてみると判ります。たとえば、ゾウが後ろを見ようと振り返るにはかなりの時間を要しますが、ネズミが後ろを振り返るのはあっという間です。動物は「何秒で振り返った」というのを測定しているのではなく、「一回振り返った」と意識をしていちだけです。だから、生物にとっての時間というものは「秒」とか「分」というものはなく、「行動」の時間ではかるものと言えます。 人間も生物ですから、行動が素早ければそれだけ時間はゆっくり過ぎます。子供の頃、一日が長かったのは、なにごともすぐ飽きてチョロチョロし始めるのが早いからです。一つのことを一五分でする人と、一時間かかる人では一日八時間で「行うこと」が四倍違います。それを「分」で数えずに「したことの数」で数えれば、一五分でする人の八時間は、ゆっくりとする人の二時間と同じ。つまり一五分でする人は時間の過ぎ方がゆっくりしているので、人生が長くなるということです。 何事も速くやると時間が長くなるということが判ると思います。また、時間というものが無機的に単純に流れていくものではなく、環境によって、ものの大きさによって、速くなったり、時には遅くなることがあることが判りました。著者は、長年、同じことを人の数倍のスピードでするという修行をしてきましたが、時に、時間が止まったように感じられることもあります。 『日本社会を不幸にするエコロジー幻想』 武田邦彦著 (青春出版社 平成13(2001)年刊) 20231125 173