しあわせみんな 三号店

日本人は太古の昔から「しあわせみんな」という素晴らしい知恵をもって生きてきました

感動の時間のあるこれからの環境

感動の時間のあるこれからの環境 旅の時間、それをトルストイは次のような意味のことをもらしています。 「将来、わたしたちがA地点からB地点にできるだけ早く移動しようとして努力したことを無意味なことと判る時がくるだろう」そして、同時に、旅は、旅の時間それ自身に意味があり、A地点からB地点に早く行こうとしたら、その間の時間はその人にとって無かったも同然だと言っています。ここでも、まず旅の時間について考えてみます。 江戸時代、男性が一日に歩く距離はおおよそ一〇里、今の四〇キロメートル程度でした。当時、江戸から上方まで東海道が整備されていましたが、雨も降らず順調に旅ができれば東海道五十三次をおおよそ一三泊一四日の旅だったのです。五十三次と言うくらいですから、多くの宿があったのですが、そのなかでも普通に利用する宿はおおよそ決まっていて、日本橋から第一の宿が戸塚、それから小田原、箱根を越えて三島、蒲原、岡部、日坂、浜松、赤坂、宮と行って、四日市に渡り、土山、草津を経て京都にたどり着いたのです。現在ではかなり歩くのが好きな人でも一四日間の間、毎日歩くだけの足は持っていないようです。 江戸時代が終わってもう一五〇年も経ちましたが、その間に馬車が使われ、鉄道が敷設され、「ツバメ」が走りました。ツバメは東京から大阪までを六時間半という超特急で走り大いに人気を博したものです。今ではそれが二時間半、「のぞみ」の座席は快適でほとんど旅の疲れも感じなくなりました。その代わり、たびたび東京と大阪を往復しても、覚えているのは名古屋の近くと京都くらいで、途中はさっぱり判りません。旅情などかけらもなく、ただ東京から大阪まで移動したということだけです。 四日をかみしめながら歩いた江戸時代と新幹線で行く大阪と、どちらが便利かは言うまでもありませんが、その間、旅行する人の時間としてはどちらが「自分の時間」だったか、にわかには決めることができません。「旅」というのは目的地に着くことではなく、旅の途中の時間こそが旅であるという人にとっては東海道を歩くことは旅であり、新幹線の二時間半は全く空虚な時間と感じられるでしょう。往復一カ月の旅がツバメの登場で二日になり、食い倒れ大阪の町で一夜を過ごす機会も今や失われてしまいました。朝、八時に東京を発つと、一〇時半には大阪に着いています。よほどの用事でなければ四時間ほどで終わり、三時には時間が空いてしまいます。 少しの時間をぶらぶらしても、その日の夕方ののぞみでまた東京に帰ります。旅の楽しみは奪われ、高速の新幹線は空気の抵抗を受けてエネルギーを大量に消費します。 次は、ゆっくりした時間が「時」を増やすことです。 著者は人と待ち合わせるときはもちろん、結婚式の披露宴に呼ばれでもすると、必ず二時間ほど前に会場に到着します。二時間前にすでに受け付けが始まっているときにはまず受け付けを済ませますが、それは「あの人は来るだろうか?」と主催者が心配するのが気になるからです。 著者がこのように待ち合わせに早く行ってもさして苦痛を感じないのは、「秘密兵器」があるからです。その秘密兵器とは「好奇心」と「本」の組み合わせ。結婚式では記帳を済ませて「わたしは来ています」と係りの人を安心させた後、受付を離れて付近の散歩を始めます。 これほど気持ちの良い散歩はありません。披露宴は二時間後にならないと始まらない、それまで時間はたっぷりある、そして式場の周りをじっくりと見て回ることができます。その式場が知らない場所ならさらに楽しく、付近をブラブラしながら「この町はサラ金が多いな」とか、「こんな時間に何でこんなに高校生が歩いているのだろう?」などと思いながら歩きます。 時には、脚が疲れていて散歩はしたくない、というときもあります。そのときのために常に小さな本を小脇に抱えていて、適当な喫茶店、最近ではドーナッツとコーヒーをサービスしてくれる店がお気に入りですが、そこに入って三〇分ほど本を読みます。ほのかに甘いドーナッツ、入れ立てのアメリカンコーヒー、そしてゆっくりした時間です。 この時間の使い方で、どの時間が増えたかというと、まず結婚式に行く間の時間です。普通は、時間ぎりぎりに行くのが「時間の倹約」と思いますが、ぎりぎりに行くと電車に乗ったり、車で急いでいる間、ずっと時計を見たり、次の信号が赤にならないかということばかりが気になります。そのために、その時間は全く自分の人生の時間から切りとられます。 間に合うかどうか精神的にイライラすることもありますが、それより時間自体を失うのがもったいないと思います。 『日本社会を不幸にするエコロジー幻想』 武田邦彦著 (青春出版社 平成13(2001)年刊) 20231126 178