寿命まで使えば家電リサイクル 法は要らない 現代の社会は病んでいます。それは本著が示した「架空の環境」「命の軽視」「矛盾した環境運動」などを通じてよく判っていただいたと思います。それは、「ものづくり」にもあらわれているのです。そして、この世界の矛盾にも「部分的には正しい」ということと、全体の関係が潜んでいます。 現代の工業社会ではものづくりが「分業」になっていますので、作る人はその全体を見ることが難しくなってきています。それでも、新しい製品を作る研究の人、その製品を作る人は「技術者」であり、昔でいえば職人にあたります。彼らは、新製品の研究と開発に打ち込み、深夜まで努力をします。また、開発された製品を製造する人たちも安全と品質に 全神経を尖らせ、少しでも良いものを作ろうとしています。本当に日本の製造現場は大したもので、決して手を抜きません。いい加減に新製品を開発し製造しているのではありませんし、それが世界に誇る日本の高品質製品となっているのです。 このことは販売部員や重役も同じことです。自社の製品を使ってくれているところに出向いて長く使っている商品があると「我が社の製品を長く使っていただいてありがとうございます」と言います。 ところが、実際の家電製品が使われている実績を見ますと、平均して一二年弱の寿命があるはずなのに、六年ほどで捨てられます。その製品を研究して開発までこぎつけた人、神経を張り巡らせて品質を保った人は哀しい気持ちではないかと思いますし、販売員も本心は残念に思っているでしょう。 例えば、家電リサイクル法は、家電製品を作った人にとって我慢できないような法律です。家電のゴミが増える……それは「寿命の半分で捨てる」ということが行われているからです。もし、買った人が寿命を全うしてくれたら、ゴミは半分になると同時に、設計寿命になりますので、製品に使われた材料も寿命になり、たとえリサイクルしても再利用できません。 それでも、家電メーカーはリサイクル法に反対ではありません。少なくとも表面上は協力しています。なぜでしょうか? なぜ、自分たちが一所懸命作ったものが途中で捨てられるのに協力するのでしょうか? 家電協会も家電製品が設計寿命の半分で捨てられているという現状を前にして、「もっと長く使ってくだ さい!」と訴えないのでしょうか? 新製品を作った技術者にとっても、魂を込めて作った製造マンにしても寿命の半分で捨てられるのは辛く切ないことでしょう。何とかしたい、せめて設計寿命は使ってもらいたい、何が原因で消費者はこんなに早く捨てているのだろうか? と悩むのが正常な神経です。 著者は製造メーカーの技術陣や販売がどれほど努力をしているかを知っていますので、その人たちを非難する気にはなりませんが、もし、その人たちが本当に自分たちの職業と人生を大切にするなら、様々な障害があるでしょうが、勇気を出して「環境のために、長く愛用できる商品を作ろう!」と呼びかけてほしいのです。 『日本社会を不幸にするエコロジー幻想』 武田邦彦著 (青春出版社 平成13(2001)年刊) 202311202 200