しあわせみんな 三号店

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第五章 日本復活のカギを握る“エコロジー”発想 「もの」から「こころ」へで何が必要か

第五章 日本復活のカギを握る“エコロジー”発想 「もの」から「こころ」へで何が必要か 本著では動物の生態、人間の体について多くのページをさいてきました。それは「もの」が無機質で機械的であり、架空の現境を作るものであるのに対して、「こころ」は人間の奥深いところにあり、生命であり、それが本当のものであるからです。それは人間と動物の関係をより密接にするものであり、あまりに他の生命と離れたわたしたちを回帰させるものだからです。 ここに本著を閉じるにあたって、オオカミの夫婦愛を示し、ものの時代に疲れたわたしたちがこころの時代に帰る場所の描写に代えたいと思います。 オオカミは夫婦仲が大変良いことで有名です。一つの群れはだいたい一〇頭程度ですが、一〇頭という数は、一組の夫婦を中心としてその年に生まれた子供、前の年に生まれた子供が集まって一つの群れを作るからです。リーダーは父親で、父親はその腕力で家族の縄張りを確保し、群れの食糧を保証します。そして、何事も起こらなければ、この一つの群れで狩りをしますが、非常のときや大型の獲物を捕るときには数個の群れが協力することもあります。 秋にツンドラ地帯を移動するトナカイの大群を追うときは群れが合同します。時によっては五〇頭ものオオカミが一斉に行動を起こしますが、トナカイの大群を追うオオカミの行動は「狩り」という一つの目的だけを持っているわけではありません。 集団での狩りは同時に、若いオオカミ同士の「お見合いの場」。人間でもそうであるように、多くの場合、血が近い結婚は良い結果を生みません。遺伝学はおろか、祖先からの言い伝えもないオオカミも、できるだけ遠い血と交わるのが種族にとって良いと長い進化の歴史で学んでいます。 この狩りのチャンスを生かして多くの若いオオカミが結婚します。その意味で、トナカイの狩りは「オオカミの集団お見合い」と言えるのです。 オオカミの家族は常に父親を中心に行動します。特に強力な敵が来たときには父親が家族をかばって戦い、母親は子供を連れて避難させますが、父親は自分の命を賭けて敵と戦い、子供を守るのです。敵が自分より強力で死ぬと判っても父親は逃げません。家族のために戦って死ぬのがオオカミです。 一方、父親が戦っている間に、母親は子供を逃がすのですが、オオカミはそのときのために数カ所の巣をもっています。母親は戦いの様子を見て最も安全な巣に子供を移動させるのです。このように、オオカミの夫婦の間には「役割分担」がありますが、それは合理的なように見えます。だからといって人間の夫婦に役割分担が必要とは思いませんが。 ところで、オスの戦闘力はこのように敵と戦い、家族を守るために備わっていますが、発情期のときは別です。オオカミは冬の間に発情し、オスはメスを争って激しい戦いを繰り広げます。 「最も強いオスが望みのメスと結婚する」 というのがオオカミの繁殖の決まりだからです。このルールは多くの動物で採用されていますが、オオカミには特別に 難しい問題があります。あまり戦闘力のない動物の場合にはオス同士は互いの力を存分に出し切って戦ってもよいのですが、オオカミはもともと敵と戦うために鋭い牙や俊敏な運動神経を持っていますので、この武器を仲間との争いに本気で使うと、そのまま仲間の死を意味することになるからです。 そうはいっても、本気で戦わないとどのオスが本当に強いか判らなくなり、ルールが正確に適用できません。そこで、この矛盾を解消するために、オオカミの戦いには「戦いの仁義」、つまり人間で言えば、スポーツのルールに相当する規則を決めています。 オス同士の戦いの場合は、「死を賭けた本当の争い」を「序列を決めるための仮の争い」に転化させるのです。オオカミ の戦いのルールは、「これ以上戦っても勝ち目がないと思ったら、負けた方が急所の首筋を無防備のままにさらけ出す」というものです。戦いに負けたオスが、この姿勢をとると戦いはただちに終わりです。勝利したオオカミはそれ以上は決して攻撃をしません。このようなルールはオオカミばかりでなく、強力な武器を持つ動物が仲間内で戦うときにしばしば見られる仁義で、例えば、猛毒を持つコブラも仲間同士で激しい戦いをしますが、決して仲間の間の戦いには毒は使わないことが知られています。 『日本社会を不幸にするエコロジー幻想』 武田邦彦著 (青春出版社 平成13(2001)年刊) 202311208  209