『解体新書』と日本人の科学技術に対する意識 日本人には、科学技術にしつかりと向き合う姿勢が古来から連綿と受け継がれてきました。 日本人の科学技術に対する意識がたいへんよくわかるのが、1774年、江戸時代後期の安永3年に発刊された『解体新書』の翻訳のエピソードです。 原本の『ターヘル・アナトミア』はドイツのクルムスという解剖学者が1722年に著した『解剖図譜』を、オランダの大学都市・ライデンで活動していたディクテンという医師がオランダ語訳した書物でした。 このドイツに生まれてオランダ語に訳された医学書を、豊前国中津藩藩医にして蘭学者の前野良沢が翻訳し、若狭国小浜藩藩医にして蘭学者の杉田玄白がまとめ上げたのが『解体新書』です。 当時、ヨーロッパの書物を自国語に翻訳した例は世界で初めてでした。つまり、外国の本はその外国語を学んで読むものでした。 特に西洋においては、外国語の本を読めるということがその人間の社会的地位を高めました。ドイツ語が読める、フランス語が読める、ラテン語が読めるといったことは、自分の利益を確保して他に渡さないという点で重要だったのです。 翻訳の意義は、その国の人間なら誰にでも読めるようにする、ということです。その書物に書かれた知識を「同胞で共有したい」、という情熱のなせる技です。 『解体新書』以降、幕末から明治にかけて、理学あるいは工学の書物あるいは論文が点ほど日本語に翻訳されています。 外国からの貴重な情報を自分一人で独占して利益を得ようとする人間など日本にはいませんでした―――。 『解体新書』は日本人の、西洋医学への関心を高めました。同時に、西洋の科学技術への関心もまた高めることになります。 江戸時代の末期から明治にかけて実に多くの書物が日本語に翻訳されましたが、かえって明治時代から、医療の世界ではドイツ語で診断したりカルテに記載したりし始めました。 これは、診断結果を患者に直接わからないようにする配慮ということもありますが、医師による「情報独占」でもあります。新型コロナウイルスの蔓延時、医師による情報独占で具体的な診断内容が公にならず、政府の政策も右往左往したことは記憶に新しいことと思います。 最新情報の独占は支配階層の選民的な意識によってなされることが多く、これは世の中の混乱につながります。 『解体新書』の翻訳者たちには、情報の共有が人々の安心と社会の安定に必要だという利他の意識がありました。 『かけがえのない国――誇り高き日本文明』 武田邦彦 ((株)MND令和5年発行)より R060203 135