しあわせみんな 三号店

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日本だけが唯一植民地にならなかった

日本だけが唯一植民地にならなかった 19世紀の半ば、つまり江戸幕府が終わったころに有色人種の国で独立していたのはエチオピア、現在のタイであるシャム、それから中国と日本。この4カ国だけが植民地になるのを逃れて独立した国家として存在していました。 エチオピアはそのころにす ごく疫病が流行っていました。白人はすぐにその疫病に罹って死んでしまうものだから、みんな怖がってエチオピアに は入らなかったために独立が守られました。 それからシャム、今のタイの人という のは非常に交渉上手でした。インドを獲ったイギリスがビルマも占領して西の方からやって来る。東からはインドシナ、今のベトナムラオスカンボジアを獲ったフランスがやって来る。 そのときに、もしタイをどちらかが獲るとフランスの植民地とイギリ スの植民地が直接ぶつかることになるので何かのきっかけで国間にトラブルが起きるかもしれない。それよりは緩衝地帯としてタイを置いておこうということになり、タイには王様がいましたからその王様とイギリス、フランスが話をして、その結果半分独立のような形で国体が残りました。 中国は非常に大きな国だったので、南のほうはイギリスとフランスが獲り、北のほうはロシアが獲ったものの、中国は清という名前の国として残っていました。残ってはいましたが、それは今でいう黄河のほとりの細いところだけが実質上の清で、その他は租借地だとかいろんな名目で分割統治されていて清の領土と言えるようなものではありませんでした。 そうしてみると、徳川の世が終わり明治政府ができた1868年ごろ、正確にはもうちょっと後なのですが、軍事的に独立していた有色人種の国は、世界で日本だけだったと言えます。 これは非常に不思議なことです。そのころの世界は、植民地を持ったヨーロッパの国、主にスペイン、ポルトガル、オランダ、フランス、イギリスの5カ国と、それから白人の国だったから占領されていない東ヨーロッパとロシア、それからその当時に白人が建国していたアメリカ、カナダといったところが植民地にならずに残っていた だけです。 アメリカは18世紀にアメリカヘ移ったイギリス人とフランスが争ってイギリスが勝ち、そうしてイギリス人によって建国されましたから、植民地というよりは占領地でした。 もともと住んでいたインディアンはアジア系の民族ですが、次々と殺されました。最後はもう何千人という規模にまでなってしまい、インディアンの保護というのが行われました。 ちなみに最近では、コロンブスアメリカ大陸発見というのはヨーロッパの言い方だから、「コロンブスアメリカ大陸に渡った日」と言うようになりました。 これと同様に、インディア ンという呼び名も「ヨーロッパからみてインドの人」という意味で呼んでいたものですから、これはおかしいということで「ネイティブ・アメリカン」という言葉がつくられました。しかし、インディアンの人々は「我々はインディアンと呼んでもらって結構」「そういう呼び方によって民族の貴賤が決まるわけではない」と言 っているようです。 南アメリカはペ ルーにインカ帝国がありましたが、全滅しました。すべての人が殺されたのです。 中米にあったアステカ王国もそうです。メキシコにあったアステカ王国とペルーにあったインカ帝国はスペイン兵によって全滅させられて、その代わりにヨーロッパ人や、奴隷として連れてこられるなどいろんな事情で移ってきたアフリカ人、それからもともとの先住民、この者の混血の国になりました。つまりいったんすべての人間がいなくなってしまったようなもので、国ごとなくなってしまったのです。 そのようにして中南米はヨーロッパ人が中心となってつくった国ばかりになりましたから、今もヨーロッパの言葉を使って話します。ポルトガル語を話すのがブラジルで、その他のところがスペイン語といった具合です。 ただしこれらの国は次々にブラジルとかチリという名前で独立しましたから完全な植民地とは言えませんが、非常に強くヨーロッパの支配を受けた地域であったことには違いありません。 これが世界全体でしたから、ヨーロッパと違う国、ヨーロッパの血が入っていない国で独立していたのは、実質的には日本だけだったのです。 『フェイクニュースを見破る 武器としての理系思考』武田邦彦 (ビジネス社刊) R060712 P196