しあわせみんな 三号店

日本人は太古の昔から「しあわせみんな」という素晴らしい知恵をもって生きてきました

日本には「自由」や「平等」という概念は必要なかった

日本には「自由」や「平等」という概念は必要なかった もともと日本には、「信教の自由」という概念がありません。なぜなら、誰であれ自然とご先祖様から生まれてきているので、イエス・キリストさんも神様の一人ですからどうぞどうぞ、ムハンマドさんもどうぞどうぞ、ということになるのです。 だからもともと信教の自由どころか、宗教で人を区別することがない――――というのが日本人の精神構造の基礎を成しているわけです。 「あなたはどの宗教ですか」というようなことを聞 かれたときに、「無宗教です」と答える日本人が多くいます。しかしこれは「ヨーロッパの宗教概念の中には入っていませんよ」ということであって、日本に宗教がないわけではないのです。 日本にも神様はちゃんとおられて、私たちは結婚式で牧師さんに「愛を誓います」と言うときも、初詣で神社の神様に手を合わせるときも、墓参りに行ってご先祖様に手を合わせるときも、心の底から手を合わせています。 しかし、このような日本文化の特性がいろいろな点において、日本人が他国の文化を理解できないということにもなっています。 たとえば中国では占領下にあるウイグルの人の肝臓を摘出して中国(漢)人に移植していると聞けば、たい へんにけしからぬと思うでしょう。みんな神様であるところのご先祖様から生まれてきたのに、ウイグル人にだけそういうふるまいをすることは許されないと考えるわけです。 しかし中国は共産主義ですから基本的に宗教はありません。したがって一番効率的にやるということで、ウイグル人の肝臓を中国人に移植して中国人が助かるのならそれでいいじゃないかという理屈が成り立つわけです。 アメリカやヨーロッパ、中東、中国のニュースや論説を聞くときには、相手の宗教心や倫理観、論理構成を基にして聞けばいいのですが、日本人は日本の宗教観や日本の論理や倫理を基にして聞きますから、そこで誤解が生じてしまうのです。 この誤解でいちばん大きいのは、男女平等思想でしょう。先にも触れたように日本には男女平等という概念自体がありません。 これは宗教の自由という概念そのものがないということと同じです。宗教に関しては、「別に他人が信じている神様を自分が一緒に拝んでもいいじゃないか」ということになるわけです。 男女平等ということに ついても同様で、そのような 概念がそもそもなかったので、男女共同参画」というと日本人の多くは非常に違和感を覚えることになるのだと思 います。 女性は女性でやることがあり、男性は男性でやることがある。だからこそ、自然は男と女をつくったのだというのが日本人の考え方です。 そういう文化がずっと長く続いてきて、日本人はその現実をじっくりとみてきた上で、男と女が無理して 一緒のことをしなくてもいいのではないか―――、という結論に 達したのです。 『フェイクニュースを見破る 武器としての理系思考』武田邦彦 (ビジネス社刊) R060721 P223