しあわせみんな 三号店

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国連の転機

国連の転機 一九八〇年代末の世界は、激動のさなかにありました。終戦直後から続いていたソ連(東)とアメリカ(西)の冷戦が幕を引く……その気配が見えてきたのです。 一九五〇年代の一時的な雪解け、六〇年代のキューバ危機、七九年の再緊張(ソ連アフガニスタン侵攻。私はベルリンに居住中で不穏な空気を実感)、八五年の緊張緩和(レーガンゴルバチョフ会談 )―――など大小の波を経て、八九年 一月にベルリンの壁が崩壊します。翌月にブッシュ(父)とエリツィンの両大統領がマルタ島で会談し、冷戦の終結を宣言。若干の内紛も経ながら二年後の一九九一年一二月、ついにソ連邦が消滅しました。 お金がからむどんな組織も、小は町工場や党派から大は多国籍企業まで、いったんできたあとは、最低でも現状維持、あわよくば人員や業務、運用資金、設備や敷地面積などの規模拡大を目指します。国連もその例外ではないでしょう。 国連の仕事は幅広く、冷戦期の東西調停も業務の一部にすぎません。しかしともかく、冷戦への対応という仕事がなくなった(少なくとも、減った)のは確実ですね。その穴を埋め、できれば存在感を強めたいと関係者は思ったのでは? 国連の性格上、諸国の合意をとりつけるための権威も、「拡大したいもの」のひとつだったと思えます(ただしロシアがウクライナに侵攻した二〇二二年二月以降、国連の調停能力には黒々と疑問符がついた)。 仕事が減りかけていた国連に、ひとつ耳寄りな話が聞こえてきました。その説明は少しあとに回し、やがて「共同戦線」を張る環境分野の動向を振り返っておきます。 気候変動・脱炭素」14のウソ』渡辺正著(丸善出版株式会社)