しあわせみんな 三号店

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●情報操作のケーススタディとしてのダイオキシン問題

●情報操作のケーススタディとしてのダイオキシン問題 このイタリアのセベソの話には後日談がある。平成13年に『いのちの地球 ダイオキシンの夏』というダイオキシンをテーマにした環境啓蒙目的のアニメーション映画が日本で制作された。この映画の宣伝がある新聞に載っていた。 「イタリアのセベソで工場の爆発事故が発生し、次々と多くの障害が出たので、11歳の少女が友だちと少年探偵団を結成し、日本人ジャーナリストの人と共に事故を起こした工場に行き、みんなを助けようとした」という趣旨が書かれていた。 筆者はその記事を見て新聞社に電話をし、「これは物語といっても実際にイタリアで起こったことを対象にしていますし、あまりに事実とかけ離れているのでこの作品はあまり宜伝しない方がいいのではないですか」と言った。しかし、この映画は文部科学省の選定となって多くの児童や生徒がこの映画を観ることになる。 人間の被害がゼロだったセベソの事件が環境汚染の典型として文部科学省の選定となり、多くの子供たちが観るというのは一体どういうことだろうか。 太平洋戦争が始まる前に、戦争を賛美する映画がずいぶんつくられた。戦争は国家間の衝突であり、庶民はそれに巻き込まれざるを得ない面はあるものの、大変に悲惨なもので多くの人が死に、悲痛な思いをするものだ。ただ、それを映画にしてある局面だけを切り取って美化した作品をつくれば、戦争とはこんなにかっこいいものなのかと若者を錯覚させることもできる。木下恵介が監督し、高峰秀子が主演した「二十四の瞳』という映画では、当時軍事一色の世界で「軍人になりたい」と希望する小学生が兵士として出征し、そのまま若い人生を終えてしまう悲惨さが見事に描かれている。 虚偽の情報を流し、人の幻想を誤った方向に膨らますのは罪深いことである。 このような多くのトリックが「ダイオキシンは猛毒である」という思い込みを社会につくった。ダイオキシンという名前は日本の全国民が知るところとになり、そして1人の犠牲者も発生していないのに猛毒に仕立て上げられた。 不安に脅えて母乳を赤ちゃんにあげることすらできない母親も現れた。我が子にダイオキシンの害が及ばないかと心がちぎれるような夜を過ごしたかわいそうな母親―――。「サスペンス」というのは物事が決まらない時の宙づり状態の不安を言う。そんな状態が人間には一番しんどい。 それでも報道は正当性を主張する。 ダイオキシンの報道で、ついに訴訟にもなったあの有名な所沢産のホウレンソウ事件について触れておきたい。この報道がウソだったことはすでに最高裁で決着がついているが、一般的にはまだ所沢のホウレンソウがダイオキシンに汚染されていたと思っている人がいる。ホウレンソウをつくっていた人の悔しさも晴らしたい。 この虚偽の報道は、最高裁で報道側のテレビ朝日に敗訴判決が下されている。それでも新聞は次のように社説で言い訳をした。

農政ニュース/JACOM (jacom.or.jp) 「確かに所沢のホウレンソウ事件の報道は嘘だったかもしれなぃ、しかし、それをきっかけに人々がダイオキシンについて多く知るところとなり、注意が払われることによってダイオキシンの規制が行われたのだから、このくらいの報道は許されるのではないか」 事実は事実のまま伝えなければいけない。もし事実を変えても結果が良ければ良いというのであれば、結果的に良いと予想されるならばどんどん人に嘘をつけばいいということになる。そのようなメディアの規範は決して認められるものではない。 『環境問題はなぜウソがまかり通るのか武田邦彦 洋泉社刊 2007年 20230813  100