しあわせみんな 三号店

日本人は太古の昔から「しあわせみんな」という素晴らしい知恵をもって生きてきました

● 分別せずにごみを処理する方法を模索している市

● 分別せずにごみを処理する方法を模索している市 九州の長崎県の海沿いに伝統のある市がある。長崎県は丘陵地帯が多く海が入り組んでいる。そのために住居は一般に坂の途中に建てられていて、家を出ると階段を上り下りしなければならない。また、なかなか広い場所を確保できないので、家の面積が一般的に狭く、特に台所は狭い。 分別回収システムが始まってから、この市の住民は不便と苦痛を強いられている。特にお年寄りが酷い目にあった。ごみを分けて狭い台所に数日置き、それを毎日、痛い膝をさすりながら坂を上り下りし分別回収所まで持っていく。 それでもお年寄りたちは分別したごみが有効に使われているのだろう、節約にもなっているだろうと信じて、毎日つらいけれど分別回収に協力している。 その市の市長は、お年寄りが一生懸命、分別したごみがただ焼却されていることを知っている。分別したごみを何か有効に使えればいいのだが、現実には使う方法がない。もちろん税金を使って無理やり何かをつくり、つじつまを合わせて「環境にやさしい市長」というイメージをつくることは可能だろう。 しかし、そこの市長はそんな人ではなかった。お年寄りがせっかく分別して苦労して運んだごみはほとんどそのまま焼却されているし、毎日膝をさすって階段を昇降させること自体も可愛そうだ。さらに台所が分別されたごみで一杯になっている事情もその市長は熟知している。 現在その市は分別する量を最小限にとどめ、何とか分別せずにごみを処理する方法を模索している。 本当は、その市は優れた焼却施設を2カ所持っており、分別せずにごみを出した方が環境には良いのだが、全国的にあれほどリサイクルを宣伝されたために、全面的に分別しないシステムに戻すことはなかなか市民感情が許さない。 社会というのは強い者のためにシステムをつくるわけではない。むしろ弱い人が楽しく生活できるような環境をつくっていくことこそ、人にやさしい環境と言えるはずだ。 『環境問題はなぜウソがまかり通るのか武田邦彦 洋泉社刊 2007年 20230915  185