しあわせみんな 三号店

日本人は太古の昔から「しあわせみんな」という素晴らしい知恵をもって生きてきました

● 庶民を痛めつける環境問題—ごみは冷凍庫に?

● 庶民を痛めつける環境問題—ごみは冷凍庫に? ペットボトルの分別やリサイクルをすればするほど資源を浪費しごみを増やすという結果がすでに出ているにもかかわらず、環境で利権を得る人たちにとっては、そんなことは問題ではない。チリ紙交換の人たちばかりでなく、一時的に仕事を失い、なんとか食いつなぐ職業すら官製になってしまった。 環境運動というのは、もともと善意から生まれるものだが、現実には弱者たちにその攻撃の牙を向けることが多い。みんなで快適な環境をつくり、楽しく生活していくはずの運動がなぜ弱い人をいじめ、さらに辛い思いをさせるのだろうか。 哀しい話を紹介しよう。 名古屋市に40代の女性で、一人は売れっ子のライター、一人は学校の先生がおられる。お二人とも女性として家庭と仕事を懸命になって両立させようとしている。 そんな中で、過酷な分別回収とリサイクルは始まった。分別回収は、家庭で細かく分けたものをとりあえずとって置く場所が必要である。仕事で外に出がちな彼女たちは、分別回収日にこまめに出すことができない。 生ごみともなると夏場は2、3日経つと異臭を放ってくる。かといって生ごみを出張前に出したりすれば分別を監視する女性が、そのごみを脇によけて「あの人は規則を守らないのよ!」と言わんばかりに目立つ所に置いておく。 困ったそのライターは冷蔵庫を一つ新しく買った。その冷蔵庫は食品を入れるためのものではなく、ごみを入れておくためのものだ。 「夏場でも生ごみは冷凍しておけば大丈夫」と彼女は言った。もちろん余計に冷蔵庫を買ったり、電気代を支払ったりするのはもったいない。 第一、ごみを捨てるのにわざわざそれを冷凍しておいたり、新しく冷蔵庫を買うなどということは環境のためにも悪い。 ごみの日は厳格に決まっていて、しかも出す時間も定められている。ごみを出す時間は平日の午前7時頃から9時頃までとなっているため、ずっと家庭にいるか、朝出勤して夕方帰ってくるという人しか生活ができないようになっている。 すでに社会は多様化し、家族で暮らしていない人もいるし、老人だけの家庭も多い。また勤務が夜という人や、勤務時間が日によって変わる人もいる。こうしたごみ分別の運動はそういう人たちのことを考慮に入れていない。 おまけに、分別の盛んな名古屋市のごみ置き場には、ご丁寧に「不法投棄監視用ビデオ作動中」と書かれた看板が置かれ、その横にビデオカメラらしきものが据え付けられているところすらあった。戦時中の日本の憲兵の監視や、ナチスドイツの監視体制よりも完璧な現代日本の環境監視システムだ。 知り合いの学校の先生の住居は2LDKなので、生ごみを冷凍しておくだけの冷蔵庫を置くスペースもない。仕方がないので、生ごみを小口に分けてバッグに入れ、途中のコンビニエンスストアや大学のキャンパスに設置された学生用のごみ箱にそっと入れるようにしていたという。 ところがしばらく経つと、大学のキャンパスに設置された学生用のごみ箱には、「家庭で出たごみを入れるな。ルールを守れ」という紙が貼ってあるではないか。自分も学校の先生なので申し訳ない気がしたが、どうしようもない。ごみ箱にはわずかのごみを入れただけなのに、1カ月も経たずに張り紙が貼られる。つまり、すべて監視されているのだ。 リサイクルでごみは減らないけれど、一応ごみを減らすという建前でやっている。しかし、快適な生活をもたらす「環境」とはごみ間題だけではない。犯罪のない安全な街、お互いに監視をするようなことのないリラックスした街の雰囲気、そしてぎくしゃくせずに朗らかに暮らしていけるお隣さん――。 そんな環境こそが物質的豊かさを達成した今日の日本で望まれる「環境」ではないだろうか。 『環境問題はなぜウソがまかり通るのか武田邦彦 洋泉社刊 2007年 20230914  184