しあわせみんな 三号店

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第5章 環境問題を弄ぶ人たち ●「環境トラウマ」に陥った日本人

第5章 環境問題を弄ぶ人たち ●「環境トラウマ」に陥った日本人 現在の日本の大気は、実はかなりきれいな状態に戻っていることをご存じだろうか。 例えば、二酸化硫黄(S02)濃度をとってみてもほとんど5ppb以下だ。もしこれ以上下げようとするならば、中国から偏西風に乗ってくる二酸化硫黄濃度を下げなければならない。 1970年から1980年にかけて、都内各所から東京タワーの写 真を撮るとだいたいぼやけた写真に仕上がった。しかし最近では、いつ都内から東京タワーの写真を撮っても、かなりクリアな写真を撮影できる。大気中の二酸化硫黄ばかりでなく、煤塵やその他空気を汚すものも少しずつ減っているためだ。 日本人の頭には水俣病四日市喘息、東京の光化学スモッグなどといった1970年代の汚い日本のイメージがこびりつき、それがトラウマになって現在に至っている。 日本人がこうした「環境トラウマ」に陥った過程を少し詳しく整理してみたい。

図表5-1は時代と共に環境の指標がどのように変化していったかを示している。人間の活動が急激に大きくなったのは、 200年前と70年前の2回である。1度目は産業革命が成功し蒸気機関が発明された時であり、2度目は第二次世界大戦の前夜に工業技術が急激に進展した時であった。 大自然は大昔から火山や生物の腐敗などで「硫黄」を空気中に出していた。その量はおよそ30兆グラム。これに対して150年ほど前まで、人間が出す硫黄は少なかった。 ところが、人間の活動が盛んになるにつれて石炭や石油、鉱石の製錬などで硫黄の放出量が多くなった。そして、ついに 1940年以降、人間の活動によって排出する硫黄の量が、大自然から吐き出される量を上回っていくのである。 自然が自らの環境を守っているのは、原則として自然が出すものは自然が片付けるからである。しかし、自然が出す量より多くの量を人間が出せば、自然の処理能力を超えてしまう。だからこうした収支関係が1940年に逆転した結果、社会では公害が次々と起こった。 1952年にはロンドンスモッグ事件が起き、4,000人~10,000人が死亡するという大惨事となった。 1953年には日本の水俣で初めての患者が発生した。 続いて日本では四大公害と言われる事件が起こり、世界的にも大気の汚染などが頻発した。そして1962年にレイチェル・カーソンが『沈黙の春』を世に出して「環境」は一気に社会問題化した。日本では高度成長とバブルがあったので、1990年になって環境問題が浮上する。 環境汚染に対して、国や企業も手をこまねいていたわけではない。大気の汚染を防ぐために発電所には脱硫装置を付け、廃水管理を厳重にした。次々と開発される環境技術は大気や水質を改善し、毒物の最を着実に減らしていった。 図表5-1からわかるように日本の大気中の二酸化炭素濃度やダイオキシン量は1970年代の初頭をピークとして急激に低下し、今や問題ないレベルにまでなっている。 だから、「環境が汚れた中で我々は暮らしている」という印象を抱いてしまうのは先入観であり、トラウマなのである。 しかし、現在すでに環境はきれいだとか、環境問題は解決していると言うと皆びっくりする。 現実に空気も水もきれいで、食物は新鮮だし何も問題ないではないか、あなたは現在、環境悪化によって苦しんでいるのでしょうか、と話をすると、なかなかきちんとした答えは返って来ない。これは幻想としての環境汚染というものがまだ残っている証拠である。 本当に環境が悪ければ身体の弱い乳幼児やお年寄りが真っ先に被害を受けるはずだけれど、乳幼児死亡率やお年寄りの死亡率は日本が世界でもっとも低い水準にあることは周知の事実である。このことは全体として日本の環境が非常に良い状態であることを示している。 ごみの問題では、ごみの貯蔵庫がもうすぐ満杯になるという話が1990年に盛んにされた。その時の主な話題は、あと8年後にはごみの貯蔵所が満杯になるという話だった。そうした機運が高まりリサイクルを始めたが、現実にはリサイクルをすることによってごみは増加した。しかし、貯蔵所には、まだ十分な余裕がある。 なぜならば、ごみの貯蔵所が満杯になるという試算にはある仮定があるからだ。その仮定というのは、もしごみの貯蔵所を増設できなかったらごみの貯蔵庫が満杯になるという仮定である。こんな単純な話があるだろうか。 『環境問題はなぜウソがまかり通るのか武田邦彦 洋泉社刊 2007年 20230919  195